当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

『ぼっち・ざ・ろっく!』の魅力!”後藤ひとり”と”アニメとの相乗効果”に着目して紹介

みなさんこんにちは、マンガフルライターの神門です。

音楽、バンドを題材にした作品はいつの世も一定数出てきて人気を博しています。

その中で2022年にアニメ放映されてから一気に人気爆発したのが、

 

『ぼっち・ざ・ろっく!』

 

です。

私も大好きです!

ということで今回は改めて『ぼっち・ざ・ろっく!』の魅力を、ライターの独自観点で漫画だけでなくアニメとも絡めてご紹介したいと思います。

『ぼっち・ざ・ろっく!』を好きな方はこういう考え方もあるのかとか思っていただければと思いますし、まだ読んでいない方・観ていない方は興味を持っていただけると嬉しいです。

 

1、『ぼっち・ざ・ろっく!』ってどんな作品?

著者 はまじあき
出版社 芳文社
掲載雑誌 まんがタイムきららMAX
掲載期間 2018年~
単行本巻数 既刊6巻(2023年11月時点)
ジャンル 音楽漫画、4コマ漫画

 

『ぼっち・ざ・ろっく!』は、はまじあき先生がまんがタイムきららMAXで連載しています。

主人公の後藤ひとりは極度の人見知りでコミュ障でもあり、幼いころから親しい友人もできないでいました。

中学生になったひとりは、バンドなら自分みたいな陰キャでも輝ける、と思って毎日六時間ギターの練習をしてギターは物凄く上手くなりましたが、周囲に話しかけることができず高校一年になっても一人ぼっちのままでした。

しかしそんなある日、ギターメンバーを探していた伊地知虹夏に声をかけられ、そのまま虹夏の“結束バンド”のメンバーになってバンド活動をしていくことになります。

ひとりはソロの演奏は上手でも、バンドで人の演奏に合わせたり人前で演奏したりするのが苦手でなかなか上手くいきませんが、それでも結束バンドの力になりたいと頑張ります。

『ぼっち・ざ・ろっく!』は、そんなひとりがバンドマンや人として成長する姿を主に描いた、バンドをテーマにした4コマ漫画です。

 

原作ももちろん人気ではありますが、2022年に放映されたアニメでその人気は一気に爆発しました。

 

2、『ぼっち・ざ・ろっく!』を彩る“結束バンド”メンバー4人を紹介

まずは『ぼっち・ざ・ろっく!』の主役である“結束バンド”を結成している4人の個性的なメンバーをご紹介します。

 

2-1 後藤ひとり(ギター):陰キャなギターヒーロー

「ぼっち・ざ・ろっく!」 1巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

本作の主人公です。

極度の人見知り且つコミュ障で、ギターを始めたのも、「バンドをすれば陰キャでも輝けるから」という理由でした。

  • 中学三年間で友達が一人もできず、高校は誰も過去の自分を知らない所にしたく片道2時間の学校を選択
  • 人の目を見ることができない
  • 会話の頭に絶対「あっ」てつけちゃう

 

等々、書ききれないくらいの業を背負っています。

しかし、ギターの実力は折り紙付きです。

何せ中学一年の時にギターを始めてからは毎日6時間の練習をしており、“ギターヒーロー”のアカウント名で動画もUPして登録者数も10万人とネット上では人気ものです。

 

2-2 伊地知虹夏(ドラム):世話焼き上手な下北沢の大天使

「ぼっち・ざ・ろっく!」 2巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

結束バンドのリーダーです。

バンド自体の運営、マネジメントも行っており、結束バンドは本当に虹夏がいなかったらまともな活動ができていないでしょうね。

いつも笑顔で面倒見がよくコミュニケーション能力も高く、バンドの中でも外でも潤滑油の役割をまんべんなくこなしています。

年の離れた姉の星歌は虹夏のためにバンド活動をやめており、虹夏はそんな姉のために結束バンドで人気になり、姉が始めたライブハウス「スターリー」を有名にしたいと考えています。

本当に良い子ですわ。

 

2-3 山田リョウ(ベース):変人と呼ばれて喜ぶまさに変人

「ぼっち・ざ・ろっく!」 3巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

結束バンドでベースを担当していて、マイペースでちょっと変人です。

変人ではありますが、バンド内では作曲をしてコーラスもしてと、まさにリズム隊としてバンドを支える縁の下の力持ちであり、そのベースの実力も確かなものがあります。

家は裕福なのですが、自分が欲しいものには目がなく浪費癖があるので、常に金欠状態でひとりにもよくお金を借りています。

ベースと古着と食べ物が大好きで、浪費してお金がなくなると草を食べていたりもします。

 

2-4 喜多郁代(ギター&ボーカル):陽キャには陽キャの苦労も悩みもある!

「ぼっち・ざ・ろっく!」 4巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

結束バンドでギター兼ボーカルを担当しています。

もともとリョウに憧れてギターが弾けると嘘をついて結束バンドに入ったものの、やっぱり弾けないからライブ直前に逃げ出してしまいました。

しかしその後、ひとりに連れられて改めて結束バンドに入ってからはギターも練習し、またその確かな歌唱力でバンドの華を飾ります。

ひとりと対照的に陽キャの代表のような女の子で、明るく楽しいことが大好きで、常にキラキラしています。

特にキラキラしているときは“キターン”という独特の効果音が入るくらいです。

 

3、『ぼっち・ざ・ろっく!』の作品そのものの魅力!後藤ひとりは皆の中にいる

『ぼっち・ざ・ろっく!』には、

  • 個性的な登場人物のやり取り
  • ギャグの面白さ
  • さまざまな作品のオマージュ

 

といったように魅力は幾つかありますが、その中でも最大なのはやはり後藤ひとりというヒロインの存在にあると思います。

それはなぜか?

後藤ひとりはおそらく、皆の中にいるからです。

即ち、「共感性」です。

多くの人に共感を抱かせる要素を持っているのはとても重要なことだと思います。

読み手が共感を抱いているという時点で既にその人を取り込んでいますし、読んでいてより一層物語に入り込むことができます。

ですが、そういった共感を抱かせる主人公は他の様々な作品でも存在しており、ならば『ぼっち・ざ・ろっく!』の後藤ひとりも同じではないのか?

そう思うかもしれませんが、後藤ひとりならではの突き刺さる魅力があると感じています。

 

3-1 後藤ひとりの共感性は陰キャにだけ刺さるものではなく、多くの人に刺さる普遍的なものである

ひとりというキャラクターが、実に極端な陰キャとして描かれていますので、それ故に共感するのは陰キャな人だけになるかといえば、決してそういうわけではありません。

ひとりが持つ共感性は、実に多くの人に突き刺さるものだと思っています。

 

・バンドをすれば陰キャでも輝ける

もともとギターを初めた理由はこんなもの。そんなものですよね

「ぼっち・ざ・ろっく!」 1巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

これ、確かにそういう側面もあるかと思いますが、バンドに憧れるのって陰キャだけではありません。

むしろ多くの人が、バンドをすれば、楽器をすれば自分も輝けると思ったことがあるのではないでしょうか。

勉強やスポーツは学校の授業でも存在し、それらでは残酷なまでに結果が明確に出てしまいます。もちろん、努力で補える部分もありますが、どちらも自分より上の人がいると諦める部分がどうしても出てきてしまうと思います。

そうしたときに目を向けるのがバンドなのだと思います。

他に、芸術面で他者と一線を画すという方向性もありますが、学校でも美術の授業があるので自分のセンスは分かっているでしょうしパッと分かりづらい。

その点、ギターをはじめとするバンド楽器は学校でも習わないでしょうし、中学生で実際に上手くできる人も多くないでしょう。そして何より見た目が格好いいし分かりやすい!

陰キャじゃなくともバンドをやりたいと手を出した人、あるいは実際にやらなくとも想像したことある人は多いのではないかと思います。

 

・会話の頭に絶対「あっ」てつけちゃう

絶対「あっ」て付けちゃうキャラ付けは上手かったと思う

「ぼっち・ざ・ろっく!」 1巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

これも、別に陰キャだからというものではありません。

実際、社会人になっても、何かを喋る時に必ず「え~」とか、「あ~」とか付けちゃう人は結構な割合でいます。

大事なプレゼンやレビューの場でも出ており、聞いている人も気になるし、発している人もあまりよくないと理解しつつ癖で付けちゃうっていう感じです。

 

・学校やバイトに行きたくなくて風邪を引こうとする

風邪を引こうとしたシーンはセクシーなので、こちらで(笑)

「ぼっち・ざ・ろっく!」 1巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

もしかしたら陰キャの方が多いかもしれませんが、これも良くあることですよね。

風邪を引かないかなと思って、わざと風邪を引きそうなこと(薄着をしたり、夜遅くまで起きていたり)をしてしまう。あるいは朝起きたら風邪を引いていることを願ってしまう。

あるいは嫌なことがあって会社に行きたくなくて、どうすれば行かなくて済むかを考えてしまう。

誰でも一度くらいは考えたことがあるのではないかと思います。

 

・アピールして話しかけられるのを待つ(他人本意)

いや、明らかにタダ者ではない感あるけどね・・・

「ぼっち・ざ・ろっく!」 1巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

ひとりはバンド女子であることをアピールするような格好をして学校に登校し、周囲から話しかけられるのを期待して待っていました。

自分から話題に出すのは恥ずかしいけれど、向こうから話しかけられたら幾らでも話すことあるのに。

そんな風に考えることもよくあるのではないでしょうか。

オタクはそういう気質が高いと思いますが、そうじゃなくても、なんか自分のキャラじゃないから口に出せないことを持っている人は沢山いるのではないでしょうか。

怖そうに見えて実は可愛いモノ好きだとか、運動やっている熱血系だけどオタクなものも好きだとか。

自分から言いだすのはなんか気恥ずかしいから、誰か見つけてくれないかと願うのは、珍しい事ではないと思います。

自分からいくのではなく、誰かが来るのを待つスタイル

「ぼっち・ざ・ろっく!」 1巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

例としていくつかあげましたが、ひとりの言動にはそうした共感性を産むもの、いわゆる「あるある」が多くあり、尚且つそれらが決して陰キャに留まらず多くの人に突き刺さるものばかりだと思います。

 

3-2 ひとりに共感を抱きつつも、優越感を抱くように錯覚させられる

ひとりの言動には多くの人が共感を抱く点があるのではないかと思いますが、そうして共感を抱かせておきつつ、同時に読み手に優越感を抱かせる存在だとも思います。

それは、ひとりの陰キャが酷すぎて、度を過ぎたポンコツ度を見せるからです。

  • 虹夏がせっかく誘ってくれたのにお客の視線が怖くて段ボール(完熟マンゴー)の中に隠れて演奏をしたり。
  • バンド女子アピールしてみたものの、アピールが酷すぎて逆に怖がられてしまったり。
  • 初めてのバイトでは接客する前に勝手に店じまいにしようとしたり。

 

漫画だから極端に描いているというのはありますが、あまりに酷い!

そして酷いからこそ、ひとりに共感を抱きつつも、「自分の方がまだマシだろう」と優越感を抱くことができます。

バイトを始める前から終わらせちゃう!

「ぼっち・ざ・ろっく!」 1巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

主人公に共感を抱かせる作品の方向性として次にくるのは「頑張れ」だと思っています。

共感=主人公に自分を重ねるわけですから、もっと頑張って上にいってほしい、良くなって欲しいと思わせることで更に作品に入れ込んでくれるようになります。

そういった意味でひとりは、その思わせ方が極端であり、「頑張れ」の思いに対して優越感が大きく含まれていると思います。

そもそも「頑張れ」という言葉は激励の意味ですが、上から目線であり相手より上にいるか逆に全く外部にいるから出てくる言葉とも捉えられます。

『ぼっち・ざ・ろっく!』はギャグでもありますから、ひとりを落として表現することで読者に笑わせる(優越感を抱かせる)というのは間違った手法ではなく、それが実に上手く出来ています。

それも無理に落としているのではなく、ひとりが酷い陰キャというキャラ設定があるから酷く描いても笑いにすることができます。

 

但し、その優越感もあくまで錯覚に過ぎないのですが、すぐにはそれに気づかせないのもまたこの作品の良さでもあります。

 

3-3 優越感を抱いていた人たちをひとりが超える姿をごく自然に腹落ちさせる

ひとりの陰キャ、コミュ障の酷さから優越感を抱いたりもしますが、作品を読むに従ってそれが間違いであることにも気づかされます。

確かにひとりは陰キャでコミュ障で学校でも喜多意外に友達もできませんが、中学一年の時から毎日6時間ギターの練習をしてきたのは事実であり、ギターの技術は高校生離れしたものを持っています。

理由は色々とあれど、積み重ねてきたことは事実であり、それは嘘をつかない

「ぼっち・ざ・ろっく!」 1巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

動画投稿では多くのフォロワーがいて再生回数も多く、動画広告収入も得ています。

そう、ひとりはギターに関しては実際に行動を起こし、結果も残しているのです。

だから結束バンドにも入ることができ、ステージの上で演奏をして、観客の中にファンを作ることもできました。

読み手は、ライブ前に緊張して逃げ出そうとしているひとりに対して(ある意味で上から)応援していたのに、そこで一気に突き放されます。

ひとりが見せる姿に・・・そう、ひとりはこれが出来る子

「ぼっち・ざ・ろっく!」 1巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

凄いと感じると同時に、ひとりは自分なんかより何倍も頑張っているのだと気づかされるのです。

それはギターに関してだけではありません。

まともに喋ることもできなかったひとりが、いつの間にか結束バンドで自分が何をしたいのかを語り、そのために少しずつ行動を起こしていきます。

仲間に想いを告げるだけでなく、仲間の気持ちを汲み取り助けることもできるようになる

「ぼっち・ざ・ろっく!」 3巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

自分が応援していたと思っていたひとりが、実は自分よりずっと頑張って先に進んでいたし、ダメダメだと思っていたことも出来るようになっている。

自分自身に対し、いやいや偉そうに応援している立場じゃなくないのか、そう思わせてもくれるのです。

 

そして上手いのが、決してそれが押し付けるようなものでもなければ、物凄いと感じさせないというか、下手したらそうだとも意識させないのです。

ひとりの言動の最初があまりに酷く、さらにせっかく何か凄い姿や成長した姿を見せても、直後にまた落ちるような酷い姿を見せるためです。

でもやっぱりダメな子の部分が多く・・・

「ぼっち・ざ・ろっく!」 2巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

だけど実際には凄く成長していますし、それ故に実際に自分が同じようなことが出来ているか自問自答することがありつつも、ひとりがまたすぐに駄目な姿を見せるので仮に自分が出来ていなくても落ち込まずに済むのです。

 

共感し、共感から応援し、ひとりの成長に喜ぶとともに自分自身を省み、だけどひとりをまた落とすことで安堵させる。

このサイクルと見せ方が実に絶妙なのだと思います。

 

ちなみにひとりの成長度合いはコミックスのカバー色にも表れていますね。

1巻の黒から始まり、寒色から次第に中間色、そして暖色へと変化していくのは、まさにひとりの心の成長を示しているのではないかと思います。

 

4、アニメ放映で相乗効果!人気を爆上げさせた大きな理由をアニメの視点で解読

『ぼっち・ざ・ろっく!』の魅力を語るうえで欠かせないのはアニメ放映だと思います。

実際にアニメ放映されて人気が急上昇して原作漫画も売上が伸び、一時期は書店からコミックスが消えたくらいでした(私の地元の書店でもこの事象は発生しました)

原作漫画の面白さはもちろん、アニメとの相乗効果が『ぼっち・ざ・ろっく!』の魅力を何段階も引き上げたと思います。

その理由は大きく二つだと思います。

  • 原作漫画を丁寧に補完してじっくりと作り上げたこと
  • 原作漫画では表現しきれないものを見せてくれたこと

 

それぞれについて説明します。

 

4-1 原作漫画を丁寧に補完してじっくりと作り上げたこと。素晴らしき補完の出来

当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれませんが、もうちょっと具体的に説明します。

通常、アニメ作品は1クール(凡そ十二話)で原作漫画のコミックスで3巻~4巻分を描くことが多いです。

例えば2023年にアニメ化された【推しの子】の第一期は1クールでコミックス1巻~4巻までを放映しました。

しかし『ぼっち・ざ・ろっく!』では、1クールでコミックス2巻の途中までしか放映されておらず、【推しの子】の半分にも至っていません。

更にページ数で見ると、前述した【推しの子】などは1巻で大体180~190ページくらいなのに対し、『ぼっち・ざ・ろっく!』は1巻で120ページ程度であり1クールで他作品の1巻分くらいしか放映していません。

そしてアニメを観ると分かりますが、これは決して原作の内容を水増しして作ったのではなく、原作で描かれていないところを丁寧に補完して作り上げたことでそうなっています。

漫画では1コマですが、アニメでは・・・

「ぼっち・ざ・ろっく!」 1巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

※ここで誤解して頂きたくないのは、例として出した【推しの子】と『ぼっち・ざ・ろっく!』のどっちのアニメの作り方が良い・悪いではなく、単に作品の内容からくる作り方の違いというだけです。

【推しの子】は4巻分のエピソードを濃密に詰めこんでスピード感をもって1クールで見せたもので、その完成度の高さは素晴らしいものです。

 

また、『ぼっち・ざ・ろっく!』は4コマ漫画です。

4つのコマで起承転結を描くので、1コマに入る情報量が多く、さらに場面の切り取りのような形になることが多いです。

アニメでは1コマに含まれている情報量をきちんと展開して描いています。

本作は日常系の漫画でもあるので、1コマに描かれていることをゆったりと表現することがテンポや雰囲気に合っており、物語の魅力を増すことに貢献しています。

そして、コマとコマの間の場面転換に至る部分を補完して見せてくれています。

それは例えばキャラクター達が歩いて移動しているところを描いて彼女たちの歩くペースや立ち位置、歩きながら話している時にどんな動きや表情をしているか見せてくれます。

例えば虹夏と喜多ちゃんがひとりの家にいくシーンですが、原作では4コマの部分を凡そ2分30秒使って描いています。アニメ一話はOP、EDを除くと20分程度ですから、その1割以上を使用して描いていることになります。

アニメではこの4コマをじっくりみっちり描いてくれます

「ぼっち・ざ・ろっく!」 1巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

他にもひとりのヤバイ妄想や形態変化を、アニメならではの表現をして見せてくれたりします。

展開にオリジナル要素を付け加えるのではなく、あくまで4コマで描かれていることの間の補完なので原作から離れたと感じることはありません。

そうして改めて漫画を読むと、アニメの情報が補完された状態で4コマを読むことが出来て面白さが倍増するのです。

一方で、あえて漫画原作の中でもとばしているシーンもあったりして、その辺の足し引きのバランスが絶妙です。

アニメを観てから原作を読み、何がプラスされて何が引かれているのかを探すのもまた楽しかったりします。

4コマ漫画が原作のアニメ作品は同じような感じかもしれませんが、『ぼっち・ざ・ろっく!』は補完の仕方が、日常描写、セリフによるキャラの心理描写や状況の詳細化、ひとりが見せる不条理ギャグ、演奏シーンと、その種類とバランスがとても良いのだと思います。

 

4-2 漫画では表現しきれないものを見せてくれたこと。劇中歌が劇的な効果をもたらす

アニメ化による魅力、漫画との大きな違いは以下の2点だと思います。

  • 動き
  • 音(声、音楽、効果音、等すべて含めて)

 

例えばスポーツものや戦闘がある作品は、実際にキャラクターが躍動感あふれる動きを見せることで漫画とは異なる迫力を出します。

ぼざろで躍動感のあるシーンといえば・・・コレか!?

「ぼっち・ざ・ろっく!」 4巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

実際に声がつくことで声だけで感情を表したり、効果音で心情や情景を示したりします。

漫画では出来ないことを、アニメならではの表現で見せてくれるのはアニメ化された時の大きな魅力です。

そして『ぼっち・ざ・ろっく!』はバンドを描いた作品ですから、当然ながら彼女たちが演奏する音楽が重要になります。

この劇中歌が作品の魅力を何倍にも押し上げています。

そして劇中歌の効果としては、大きく三つあると考えます。

 

第一の効果は、単純に曲の出来がとても良いのと、実際の曲があることで漫画の演奏シーンでもその曲を想像して読むことが出来る点です。

漫画の中では、なんてタイトルでどんな曲調なのかな、どんな歌詞なのかなと想像することしかできませんでした(読み手それぞれで様々な想像が広がる、という効果もありましたが)

きいてみてほしい・・・聞いて・・・聴けよ!

 

ガールズロックバンド! な感じが良くでているのと、曲そのものが良いです!

 

第二の効果は、ギャップです。

普段は変人のリョウや陽キャ全開の喜多ちゃんが、バンドで音楽をしたときのその変わり身のギャップ。

やっぱライブやってこそなんぼでしょ

「ぼっち・ざ・ろっく!」 4巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

特に喜多ちゃんは、普段はきゃぴきゃぴとした明るく軽い感じの声なのに対し、ボーカルとして歌う時はやや低めで凛々しい歌声も出たりします。

初めて聴いたときは、「え、これ喜多ちゃん!?」と驚いた方も多いのではないでしょうか(OP曲ではなく、劇中歌で初めて喜多ちゃんの歌声として聴いた時のこと。私も驚くと同時に、喜多ちゃんへの見方が変わった瞬間でもありました)

曲によってその歌声も変わってもきますし、そしてもちろんベースにあるのは確実な歌唱力です。

漫画の中のライブシーンで、曲とともに喜多ちゃんの歌声が脳内に響けば、その魅力は倍増します。

 

第三の効果は、ひとりの歌詞です。

ひとりは結束バンドの曲の歌詞を書いていますが、漫画内でその歌詞は描かれていません。

それがアニメで実際に歌詞がつくと、「これが、ひとりが抱えていた想いなんだ」というのを正面からぶつけられることになります。

色々と抱え込んだ想いを歌詞にぶつけています

「ぼっち・ざ・ろっく!」 3巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

漫画の中で数々の卑屈な発言をするひとりですが、皆に伝えられているのはそのごく一部にすぎません。

ひとりに限らず、人は自分の思いを全て口にして話すわけではないと思います。

それが、時間をかけて言葉を心の内から出して歌詞に載せているわけですから、そこにはひとりの想いが凝縮されているはずです。

その想いを感じ取ってから漫画を読むと、漫画に描かれていないことまで見えてくる気がします。

そして、最初の曲から二曲目、三曲目と進んでいくと、そこにはその曲時点でのひとりの想いが乗ることになりますから、ひとりの変化も知ることができます。

少しずつ変わっているのを感じるのは、当然、仲間たちも

「ぼっち・ざ・ろっく!」 2巻 はまじあき/芳文社 より引用

 

ひとりが初めて歌詞を書き上げアニメ5話の劇中歌として歌われた「ギターと孤独と蒼い惑星」と、アニメ最終話の学園祭で披露された劇中歌「星座になれたら」までの歌詞を読めば、ひとりがどう変わっているのかが感じ取れるようです。

※歌詞について考察するだけで記事一本分くらい書けそうですが、今回の本筋ではないので・・・

<アニメでの曲の披露順>

・5話劇中歌 「ギターと孤独と蒼い惑星」

・8話劇中歌 「あのバンド」

・12話劇中歌 「忘れてやらない」

・12話劇中歌 「星座になれたら」

 

ちなみにライターが好きな曲は前述の「ギターと孤独と蒼い惑星」です。

 

 

ひとりが最初に作り上げた歌詞ということでこの頃のひとりの想いが良く分かり、それが疾走感のあるメロディーと喜多ちゃんの声に乗って紡ぎ出された時、まさに相乗効果で心を貫いてくるようでした。

 

5、まとめ

今回は『ぼっち・ざ・ろっく!』の魅力について、

  • 後藤ひとり
  • アニメとの相乗効果

 

の2つの観点で考え、紹介してみましたがいかがでしょうか。

勿論これはあくまで魅力の中の一部であり、結束バンド以外の個性的なキャラクター達とのやり取りや関係性なども実に魅力的で面白いです。

『ぼっち・ざ・ろっく!』は、アニメ放映が終わった後もライブが開催されたり、2024年には劇場で総集編が公開(予定)であったり、まだまだ盛り上がりを見せています。

連載はもちろん続いていますし、アニメ二期も期待され、まだまだ目が離せません。

タイトルは知っているけれど実はまだ・・・という方も遅いなんてことはありません。

興味を持たれたら是非、手に取ってみてください!

なお、”結束バンド”の音楽は本当に良いのでオススメです!

 

Visited 113 times, 1 visit(s) today




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

社畜として働きつつ、漫画と小説と野球に癒される日々。人生を変えた作品は「女神転生」。プロ野球を愛しベイスターズを愛する。 熱血王道もの、血飛沫舞うバトルものから美少女百合ものまでなんでも好む。特に「無限の住人」の美しい殺し合い、「はやて×ブレード」のバカバトルが好きです。