ネット書店で本を買うようになってからスリップが貯まりがちな衛澤(えざわ)です御機嫌よう。
今回取り上げますのは、手塚治虫の代表作「鉄腕アトム」のエピソードのひとつである『地上最大のロボット』を、現代手塚派漫画家の筆頭と言われる浦沢直樹が語り直した『PLUTO』です。
『PLUTO』は「鉄腕アトム」が描かれた時代の未来にあって、自律型ロボットを題材にした漫画の秀作であり、いまよりもさらに未来世代の漫画家にとっての手本となり得る作品です。
2003年、アトムがこの世に生まれたとされる年に連載がはじまり、6年をかけて完結した物語は、伝説とも呼ばれる原作から何を継承し、どのように精錬されたのでしょうか。
『PLUTO』は手塚治虫の系譜を継ぐ漫画の金字塔であり、未来の漫画への架け橋となる作品です。いかにそのような作品たり得るのか。原作『地上最大のロボット』と『PLUTO』、二つの作品を比較することで探っていきましょう。
目次
1、浦沢直樹が描いたアトム!『PLUTO』とはどのような漫画か
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)8巻Act.62「ゲジヒトの遺言の巻」から引用
考察に入る前に、『PLUTO』という作品の概要をおさらいしておきましょう。
1ー1 『PLUTO』の基本情報
『PLUTO』 | |
作 者 | 浦沢直樹 |
原 作 | 『鉄腕アトム地上最大のロボット』(手塚治虫) |
連 載 誌 | ビッグコミックオリジナル |
連載期間 | 2003年9月~2009年4月 |
出 版 社 | 小学館 |
単 行 本 | 全8巻 |
受 賞 | 第9回手塚治虫文化賞マンガ大賞(2005年) 第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(2005年) 第41回星雲賞コミック部門受賞(2010年) |
2003年4月7日は手塚治虫の代表作とされる(手塚自身はこれを厭がっていたようです)「鉄腕アトム」の主人公、アトムの誕生日です。現実にその日を迎えようという頃にアトム生誕を記念して「鉄腕アトム」のリメイクが企画されました。
特に『地上最大のロボット』というエピソードが択ばれたのは、「アトム」ファンの間で特に人気があるエピソードであることから。浦沢直樹がこのタイトルを挙げたのもファンとして思い入れがあるからでしょう。
それだけに、手塚の遺族であり映像作家の手塚眞は一度はこれを断りました。しかし、浦沢の熱心さに決定を覆し、ただ原作を焼き直すだけでなく、「浦沢直樹の作品として」描くことを望みました。
その要望により、手塚治虫の『鉄腕アトム地上最大のロボット』は魂(テーマ)を同じくしながら装いもまったく新たな作品として、浦沢の手で再構築されました。見事な換骨奪胎により『PLUTO』という作品が生まれたのです。
1ー2 『PLUTO』のあらすじ
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)1巻Act.1「モンブランの巻」から引用
世界最高水準のロボットは世界に7人います。その1人、スイス林野庁所属の山案内ロボット、モンブランが山火事の中でバラバラの状態で発見されました。
その2日後にユーロポールの刑事ゲジヒトはロボット法擁護団体に属するベルナルド・ランケなる男が殺害された現場に捜査員として配されます。
そこで見たのは遺体の頭の両側にライトスタンドなどの棒状のものが1本ずつ突き立てられた様子。デュッセルドルフ市警の刑事はそれを「角みたいだ」と言いました。2日前にバラバラにされたモンブランも、頭部の両脇に木の枝が立てられていました。
その後、日本でもロボット法の発案者・田崎純一郎が殺害され、遺体の頭部に角のように木の枝が突き刺されていました。遺体に角を示すこれら事件の犯人は同一犯で、おそらくはロボット――しかし、ロボットは人間を殺害できないよう設計されています。
ロボットが人間を殺害したのなら、これは大変な事件です。ゲジヒトはロボット史上ただ1体だけ存在する、人間を殺害したロボット・ブラウ1589に会いに人工知能矯正キャンプに赴き、そこでブラウ1589から次の示唆を受けます。
- 被害者の頭の「角」はローマ神話の冥王「プルートゥ」を暗示している。
- 犯人はモンブランに続き、ほかの世界最高水準のロボット6体をも破壊しようとしている。
二つの情報を得てゲジヒトは世界に散らばる世界最高水準のロボットたちに危険を告げるため旅立ち、同時に「プルートゥ」なる存在を追いはじめます。
1ー3 『PLUTO』世界最高水準の7体のロボットと4人の博士を紹介
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)1巻Act.7「ブランドの巻」から引用
『PLUTO』はロボットの物語です。舞台は人間とロボットが同じように生活し、共存する世界。そこには世界最高水準の能力を持つ7体のロボットと、彼らを生み出した工学博士たちがいます。その中から主だった人物について、簡単に解説します。
世界最高水準の7体のロボット
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)1巻Act.7「ブランドの巻」から引用
世界に散らばり、それぞれの職業を持ち、生活しているロボットたちです。容姿も能力も、親と呼ぶべきつくり手の博士も、それぞれに異なります。エプシロン以外は第39次中央アジア戦争時に戦場となったペルシア王国に赴いています。
ゲジヒト
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)1巻Act.1「モンブランの巻」から引用
ユーロポール(ユーロ連邦警察)所属。物語の主人公です。在所はドイツ。特殊合金ゼロニウムのボディを持つスーパーロボット刑事です。現場に「角」を残していく連続殺人事件の謎を追います。
アトム
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)8巻Act.57「心の行方の巻」から引用
子供の容姿を持つロボット。日本で小学生として生活しています。世界最高水準の7体のロボットうちでも特に感情や情動の複雑な部分が精緻につくられており、違いを感知できるロボットの目を通しても「人間かロボットか見分けがつかない」ほど。電子頭脳の権威である天馬博士が交通事故で亡くした息子の代わりに生み出しましたが、のちに疎遠になりました。
モンブラン
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)1巻Act.1「モンブランの巻」から引用
スイス林野庁所属。ルツェルン管区森林保護担当官やアルプスの山岳ガイドなどを務め、人々に親しまれていましたが、山火事の中で何者かにバラバラに破壊されてしまいました。トルコのブランドとは旧知の仲。
ノース2号
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)1巻Act.5「ノース2号の巻〈中編〉」から引用
スコットランドの音楽家、ポール・ダンカンの執事を務めていますが、もとは軍用ロボット。全身が武器の禍々しい姿をしていますが、ケープをまとうことで隠しています。第39次中央アジア戦争に従軍したときに多くのロボットを破壊したため、悪夢を見ることも。
ブランド
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)1巻Act.7「ブランドの巻」から引用
トルコで妻と5人の子供を持つパンクラチオン(専用スーツを着用しての格闘技)選手のロボット。第39次中央アジア戦争に従軍していました。
パンクラチオン・スーツを使用するときは頭部ユニットをボディから外してスーツ内に搭載するかたちで着用します。ギリシャのヘラクレスとは好敵手で、過去の試合はすべてノーコンテスト。近々、対戦して決着をつける予定でしたが、プルートゥが彼の前に現れます。
ヘラクレス
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)5巻Act.33「勝者、賢者、生者の巻」から引用
「闘神」の異名を持つパンクラチオン選手で、ギリシャの国民的英雄。第39次中央アジア戦争に従軍し、戦果を挙げました。自らを「機械」「殺人マシン」と言い切るシニカルな面を持ちます。
パンクラチオンではブランドの好敵手。ブランドがプルートゥに破壊された後の探索を単独で続け、単身、プルートゥに挑みます。
エプシロン
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)3巻Act.19「エプシロンの巻」から引用
世界最高水準の7体のうち、唯一、第39次中央アジア戦争への徴兵を拒んだロボットです。戦争の舞台となったペルシア王国の戦災孤児を引き取り、オーストラリアの施設で一緒に暮らしていましたが、やむなくプルートゥと戦うことになります。太陽から得る光子エネルギーを動力・武器としています。
世界最高水準のロボットに関わる4人の博士
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)5巻Act.58「六〇億の混沌の巻」から引用
『PLUTO』は7体のロボットと「地上最大のロボット」とが戦う物語です。ロボット1人1人には開発者たる博士たちがいます。その中からストーリーに深く関わる4名をご紹介します。
お茶の水博士
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)4巻Act.24「博士の休日の巻」から引用
アトムを引き取り、管理している博士。アトムの妹ウランの生みの親でもあります。科学省長官を務めており、「人もロボットも等しく生命を持つもの」という思想の許に行動しています。
第39次中央アジア戦争後のペルシア王国を調査したボラー調査団の一員であったことから何者かに生命を狙われてしまいます。
ホフマン博士
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)4巻Act.27「違った夢の巻」から引用
ゲジヒトの管理・整備を行う博士。ゲジヒトのボディを構成するゼロニウムの発明者でもあります。ゲジヒトの人工知能が見る夢に興味津々。
ゲジヒトとは開発者というよりも旧友のような親しみを持って接していますが、視点がどんなことにも科学者然としていてどこか浮世離れしているのが玉に瑕です。
アブラー博士
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)3巻Act.16「ウランの巻」から引用
ペルシア王国の科学者。「中央アジア最高の頭脳」の異名を持ちますが、第39次中央アジア戦争の戦禍により身体のほとんどを吹き飛ばされ、機械化しています。
機械化した部分が多いため、ロボットか人間かを見分ける能力が高いアトムさえもが「人間かロボットか分からない」と言うほど。謎のロボット・プルートゥの開発者でもあります。
天馬博士
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)8巻Act.58「オールドフレンドの巻」から引用
アトムの生みの親で、もと科学省長官。世界的な電子頭脳の権威。人工知能の核とも言える「テンマ型チップ」を発明しています。ホフマン博士は彼を「完璧な頭脳」と評しました。
科学省長官退任後は表舞台から姿を消し、その後アブラー博士と接触しています。
2、「鉄腕アトム」の原点『地上最大のロボット』とはどのような漫画か
『鉄腕アトム地上最大のロボット』(手塚治虫/小学館)から引用
浦沢直樹の『PLUTO』は、先にも述べましたように、手塚治虫の「鉄腕アトム」のエピソードのひとつ『地上最大のロボット』を原作に、新たな要素を加えた上で再構成し、新たに語り直したものです。
ここでは、原作の『地上最大のロボット』はどのような作品だったのかを確認しておきましょう。
2ー1 『地上最大のロボット』の基本情報
『鉄腕アトム地上最大のロボット』(手塚治虫/小学館)から引用
『鉄腕アトム地上最大のロボット』は光文社の月刊誌「少年」に1964年6月~1965年1月まで連載された、第55話目のエピソードです。「鉄腕アトム」の中でも最も知られていて、最も人気が高いエピソードと言われています。
当時「少年」誌上で人気を博していた「鉄人28号」(横山光輝)に対抗して、大勢のロボットが戦うという内容を描いたのだという、負けず嫌いの手塚らしい逸話を持つ作品です。
しかし、ただロボット同士の戦いが描かれるだけではなく、強い反戦の意志が込められています。その点でも手塚らしいと言えます。
2ー2 『地上最大のロボット』のあらすじ
『鉄腕アトム地上最大のロボット』(手塚治虫/小学館)から引用
国を追われたサルタン(もと国王)がアブーラ博士(『PLUTO』ではアブラー博士)に命じてつくらせたのが、世界最強のロボット・プルートゥです。
プルートゥはサルタンの命により世界最強を証明するため、世界最強の7体のロボットたちに次々と戦いを挑み、破壊していきます。7体のうちには日本のアトムも入っていました。
アトムはプルートゥに戦うことの無意味さを訴えますが、プルートゥはサルタンの命令第一で聞き入れることがありません。
戦うことの虚しさ、権力に対する欲、人間の人間でないものへの差別意識……そのようなものに翻弄されながらロボットたちは戦い、ついに最後に残ったアトムはプルートゥとの一騎討ちに至るのでした。
3、浦沢直樹は漫画の神が書いたものでさえ作り直すことは可能であることを証明し『PLUTO』は21世紀に描く自律型ロボット漫画のあるべき姿を提示した
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)4巻Act.24「博士の休日の巻」から引用
『鉄腕アトム地上最大のロボット』は、昭和30年代の子供たちが夢中で読んだ「鉄腕アトム」のエピソードの中でも、特に人気がありました。
2003年、アトムの誕生年にお祝い企画として何かやろうというときに、熱心な手塚ファンの口から出たのが「一番人気の『地上最大のロボット』のリメイクに挑む気骨ある漫画家はいないか」という言葉。それほど重要なエピソードなのです。
「リメイクに挑む漫画家はいないか」と怖ろしいことを言い出したのは、実は浦沢直樹でした。漫画の神が描いた人気作の、さらに一番人気のエピソードを描き直すなど、並みの漫画家には畏れ多いやら怖いやらで、なかなか手が出るものではありません。
浦沢自身もそう思っていたから「『気骨のある』漫画家はいないか」と言ったのでしょう。自分で描くつもりはさらさらなかったのだと、2016年の糸井重里との対談で述べています。手塚ファンとして、ただ、そういうものが読みたかったのだと。
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)8巻最終回「史上最大のロボットの巻」から引用
「言い出しっぺの法則」に則ったのかどうかは分かりませんが、リメイクには浦沢自身が取り組むことになりました。結果、愛深き手塚ファンであるが故に浦沢は『地上最大のロボット』を深くまで読み取り、自身の中に取り入れて細かく分解・分析し、改めて自らが語る物語として再構築しました。
それは決して模倣ではなく、「鉄腕アトム」を原作に持ちながら「鉄腕アトム」ではない、新しい作品となったのです。
手塚が作品を通して語ろうとしたことを受け継ぎ活かしながら、さらに強い思いを込めて、浦沢自身の色を充分に映えさせた作品として堂々完結した『PLUTO』。リメイクとは言えただの焼き直しではなく、手塚作品を原作としながらも「浦沢作品である」と読者がはっきりと認識できるものとして、存在を確立しています。
浦沢が手塚作品を語り直す技倆を持った漫画家であることの証明であるとともに、漫画の神が描いたものを他者が語り直すことは可能なのだということの証しともなりました。
手塚治虫を語り直し、さらに自身の作品として確立させた浦沢直樹の『PLUTO』は、自律型ロボットをテーマにした漫画の金字塔であり、また、これからの時代に手塚を語り直し、手塚と並び、さらに越えることができる漫画家が出現する道程の一里塚であると言えましょう。
4、浦沢直樹が「鉄腕アトム」を21世紀のSFドラマへと昇華させた
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)6巻Act.47「本物の涙の巻」から引用
1964年に描かれた「鉄腕アトム」のエピソードのひとつ『地上最大のロボット』を、2003年のアトムの誕生日を機にリメイクしたものが『PLUTO』だということは、既に述べた通りです。
しかし、『PLUTO』は単にリメイクと言うには大きな変更点、新たに加えられた要素がたくさんあり、むしろまったく新たに描かれた別の作品のようにも見えます。
ストーリーの骨組こそ『地上最大のロボット』と同じくしていますが、「リメイク」と言うよりは作品を構成する要素を一旦すべて解体してから再構築した、つまり「リビルド」と言った方が実状を表しているのではないでしょうか。
この項では『PLUTO』という作品を構築する際に浦沢直樹が新たに、あるいは『地上最大のロボット』から引き継いで作品に組み込んだ要素を見てみましょう。
4ー1 浦沢直樹の土俵であるサスペンスで物語は展開される
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)3巻Act.20「ロボット嫌いの巻」から引用
『地上最大のロボット』は「鉄腕アトム」のエピソードですから、主人公は日本を代表するロボット、アトムです。一方、『PLUTO』の主人公はなんとアトムではなく、ドイツのスーパーロボット刑事ゲジヒトです。
石森章太郎(のちの石ノ森章太郎)「ロボット刑事」の主人公・Kを思わせるデザインだった『地上最大のロボット』のゲジヒトに対し、まったく人間然とした『PLUTO』のゲジヒト。決して美男だとかハンサムだとかに分類される容貌ではありませんが、「こんなドイツ人の刑事、いそうだな」と思わせるデザインです。
(余談になってしまいますが、『地上最大のロボット』は「ロボット刑事」よりも先に描かれています。正しく言えば「Kがゲジヒトを思わせるデザイン」なのです)
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)1巻Act.1「モンブランの巻」から引用
主人公をアトムとせず、刑事であるゲジヒトとすることでミステリ・サスペンスの要素をストーリーに加え、冒頭で、そしてその後も次々と遭遇する「謎」の存在によって、読者が馴染みやすくなっています。
この構成のおかげで、「『鉄腕アトム』に興味はない」という人や「特にアトムのファンではない」という人でも、第1巻の半ば辺りまではスイスイと読み進められるようになっているのです。
そこから先は、そこまでにどれだけの情報量を読者自身が作品から読み取れていたかに委ねられるでしょう。
4ー2 ロボットは時代を経てロボット感のない姿に進化している
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)1巻Act.7「ブランドの巻」から引用
原作では世界一のロボットたちがいかにもロボット然とした容貌で描かれていました。『PLUTO』では、原作者の遺族である手塚眞が浦沢にそう望んだように、原作を踏襲するのではなく、浦沢独自のデザインを得ています。
- アトム
- ブランド
- ヘラクレス
- エプシロン
上記の4者はゲジヒト同様、ほぼ人間と同じ容姿が与えられています。作中のロボットのように、ロボットと人間を見分ける能力がなければロボットだと看破できないほどの人間振りです。
ブランドとヘラクレスは格闘家として「パンクラチオンスーツ」というパワードスーツ様のものを着用して試合に臨みますが、このスーツが原作の彼らのデザインを踏襲しています。
また、ストーリー冒頭で残念ながら呆気なく退場となるモンブランもかなり原作に近い姿で描かれています。
例外はノース2号です。彼だけはほぼ原作通り、全身に武器が搭載された戦闘ロボットとして描かれています。それは、浦沢が手塚と同じ志を持って反戦を描くためだったのかもしれません。
盲目の作曲家の執事として務めるに際しても全身武器である自分の姿を隠すためにケープを羽織り、「もう戦場には行きたくない」と述べたノース2号のエピソードは、『PLUTO』の世界最高水準の7体それぞれのエピソードのうちでも特に人気も評価も高く読者に受け容れられています。
4ー3 ロボットに人権が与えられた世界のリアリティを描いている
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)6巻Act.41「サハドの巻」から引用
人間と同じ感情を持ち、思想を持ち、同じ仕事をして同様に生活を営むのなら、人間と同じ水準の生活、同じ権利が与えられて然りです。ロボットにも人権が必要である、ということを、「鉄腕アトム」、『PLUTO』、何れも異口同音に述べています。
『鉄腕アトム』では、『地上最大のロボット』ののちに語られる『青騎士の巻』に、作中に登場するロボット法の、ロボットに対する差別的側面について抗議をするロボットたちの姿が見られます。
『PLUTO』では戦争のために大量に生み出され大量に投棄されるロボットの姿や、瀕死の状態でも救急医療にかかることができない子供ロボットの姿など、ロボット自身に直接関係がある描写があります。
そのほかにも、ロボットの人権に関する法律を廃止しようという主張の「KR団」という政治団体が存在します。彼らが武力を行使する場面も見られ、テロリズムまでも窺えます。同時にロボット法擁護派の人間の団体もあるにはありますが、反ロボット派の勢力は強いようです。
人工知能――AIが発達して、ゲジヒトは夢を見るようになりました。それはめずらしいことではありますが「あり得る」ことだったようで、ゲジヒトから相談を受けたホフマン博士は驚いてはいません。
しかし、夢を見る、感情を持つということは、AIは複雑な思考ルーチンを制御して膨大な記憶を管理するだけでなく、「心」という定義の難しい、しかし人間には備わっていると信じられているものを生み出しているのだということの証しです。
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)3巻Act.17「機械に死を!!の巻」から引用
人の姿をしていて、人と同じようにものを考え、感情を持ち、夢も見る。そのロボットは何故、人間ではないのでしょうか。身体の部品がすべて機械だからでしょうか。
ではサイバネティック技術を用いた義肢をつけた人や人工臓器で長らえている人たちはどうでしょう。ロボットはどこまでがロボットでしょうか。人間はどこまでが人間なのでしょうか。
これを考え合わせると、ロボットに人間同様の人権がないことは随分とおかしなことです。しかしロボットに人権はいらないと言う人々が少なからずいるのだということが『PLUTO』には描かれています。
近未来を舞台にした架空のストーリーでありながら、私たち読者が住む現実の世界を映したかのようなリアリティがそこかしこに見られます。
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)2巻Act.9「お茶の水博士の巻」から引用
『PLUTO』の作中世界では人間同様に職業を得て、勤労し、金銭を得て糧を得る生活を、ロボットはしています。同じ立場で同じように生活していながら、それでもロボットを蔑む者たちがいるのも、現実的です。現実世界では人間にさえ人権を与えまいとする人たちがいます。
現実に住む私たち読者は今後発達したAIを手に入れ、自律行動をするロボットの隣人を迎えたとき、人間と対等の人権を彼らに認めることができるでしょうか。同じ人間に対してさえ全面的に人権を認めるということができていない私たちに。
5、手塚治虫の反戦の意志を受け継ぎ、浦沢直樹が生々しく描いたロボットたちの苦悩
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)2巻Act.10「ヘラクレスの巻」から引用
既にみなさんご存じのことでありましょうが、手塚治虫は徹底的とも言える反戦家でした。それは手塚自身が第二次世界大戦の戦禍をくぐり抜け、漫画を描くだけで教師や兵隊からビンタを取られ、大阪大空襲で九死に一生を得るという過酷な経験をしたからにほかなりません。
この辺りのことは手塚の「紙の砦」という作品によく描かれていますが、その1作にとどまる思いではありません。
手塚の数々の作品の根底には、自身が講演で口にした通り「もう二度と戦争なんか起こすまい」という思いが通奏低音のようにいつも響いています。「孫子の代までこの体験を伝えよう」という誓いが込められています。
もちろん、「鉄腕アトム」も例外ではありません。
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)2巻Act.14「Dr.ルーズベルトの巻」から引用
『地上最大のロボット』では、世界一でありたかったサルタンが国を追われ、自分が世界一になれないのなら、せめて自分のロボットを世界一にしたいという気持ちから、アブーラ博士にプルートゥをつくらせます。
サルタンはプルートゥを世界で一番強いと言われる7体のロボットと戦わせます。世界一の強さを実証する、それだけのために恨みも憎しみもない相手を攻撃させるのです。
アトムはその命令でやって来たプルートゥに戦いが無益であることを説きます。それでも止められない戦い。その先にあるのは、想像するべくもない悲しい結末です。それは、プルートゥにもアトムにも訪れました。
勝った方にも負けた者にも、戦争は悲しい結末をもたらします。『地上最大のロボット』のラストシーンは、悲しい結末の中に微かな、か細い光芒を見るものでした。
それは、現実の戦争には失うものしかなかったけれど、これからを生きる私たちは戦争以外の手段で新たなものを掴みましょう、という手塚の望みだったのかもしれません。
『鉄腕アトム地上最大のロボット』(手塚治虫/小学館)から引用
その反戦の意志は浦沢にも引き継がれています。前項で述べましたように、『PLUTO』第1巻に収められているノース2号のエピソードは「戦争に碌なことはなく、悲しみしか生まない」と語っていますし、『PLUTO』全体のストーリーもまた、原作『地上最大のロボット』とは異なる姿をしていながら、同じテーマを語るものです。
『PLUTO』に登場する「第39次中央アジア紛争」は、現代に生きる読者が知る日本が関わった20世紀最後の戦争である湾岸戦争をモデルとした戦争です。それもまた人間にもロボットにも益のない戦争だったと描かれています。
この戦争には世界最高水準の7体のロボットのうち、6体が何らかのかたちで半ば強制的に戦場にやられ、心身に傷を負って帰還しています。ボディについた傷は修理できますが、影響を受けた人工知能はどうでしょうか。
それが科学の力を以てしても修復し得ないのだということは、ノース2号のエピソードを見れば明らかです。また、人工知能に「傷」を残すのは戦争だけではありません。
戦争を生み出し、心に傷を残す原因となるものを、人間は生み出し得ます。手塚の「反戦」というテーマにもう一歩踏み込んだところで、浦沢はそれに注目して『PLUTO』を描いています。
6、アトムが最終盤に残す言葉のそれぞれの違いと込められた意味の共通点
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)8巻最終回「史上最大のロボットの巻」から引用
ロボットは人間を殺してはいけない。だから、殺人を犯すことができないよう、どのロボットもプログラムされている。それが『PLUTO』の世界です。
しかし、ロボット史上唯一、殺人を犯したロボットがいました。ブラウ1589です。そして、彼自身それを知りませんでしたが、ゲジヒトはブラウ1589に続く2体めのロボットだったのです。
ゲジヒトはある事件の犯人を追い、その過程で意志を持って犯人を射殺してしまいました。その罪は裁かれなくてはならないはずでしたが、何者かがその記憶を削除してしまい、ゲジヒトはそれを知らないことになってしまっていました。「忘れた」のではなく、「最初から知らない」ことになってしまっていたのです。
しかしながら、記憶とは単体で存在するものではなく、周辺近辺の記憶と結びついてネットワークを築いているものです。近い記憶を呼び出すうちにゲジヒトは削除された記憶の存在に気づき、それによって自身のうちに潜む「憎悪」という感情を見つけてしまいます。
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)5巻Act.36「憎悪の追跡の巻」から引用
過去に憎悪を持って殺してしまった男の弟が、仇を討とうとゲジヒトに近づいてきます。弟は反ロボット派に属しているのにその派から生命を狙われることとなり、ゲジヒトは自分を襲った彼の警護をすることになりました。何とも皮肉な展開です。
ゲジヒトは己が身を楯にして爆発物から彼を守り通し、事態が収束したときに彼に訊ねます。
あなたに聞きたい……人間の憎悪は消えますか……?
消去しても消去しても消えないものですか?『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)5巻Act.36「憎悪の追跡の巻」から引用
人間も、ロボットである自分も「憎悪」を持っている。しかし、人間の憎悪がやがて消えるのであればあるいは……、という気持ちが、ゲジヒトにはあったのかもしれません。最も怖れていたのは憎悪を持ってしまった自分自身なのだと吐露しています。
他方、プルートゥとの戦闘で動かなくなってしまったアトムを助けるために現れた天馬博士は「完全なロボット」をつくったことがあったのだ、と話します。世界人口と同じ数の60億の人格をプログラムした「完全なAI」は、しかし目覚めることがありませんでした。
そこで天馬博士が行ったのは「偏った感情の注入」です。偏った感情を注入されて、「完全なロボット」は目覚めました。その「偏った感情」こそが「憎悪」だったのです。
憎むものこそが人間に最も近い知性である、ということを天馬博士は立証してしまったということです。読者のみなさんも既にご理解の通り、憎悪は争いのもとであり、戦争の原因となります。『地上最大のロボット』の最終ページで手塚はアトムにこう語らせています。
ぼく……いまにきっとロボット同士仲よくして、けんかなんかしないような時代になると思いますよ、きっと……
『鉄腕アトム地上最大のロボット』(手塚治虫/小学館)から引用
文言の表面だけを見れば、希望を語っているように思われます。けれどもこれは将来起きるだろうことを泰然と待つものではなく、そうあってほしいという「願い」でしかありません。おしまいに「きっと」がついていることからそれが察せられます。疲弊と傷心、そしてなす術がないため、ただ願うしかできないのです。
『PLUTO』の最終盤では、やはりアトムがお茶の水博士を相手に問います。
博士……憎しみがなくなる日は来ますか?
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)8巻最終回「史上最大のロボットの巻」から引用
これも明確な回答を望んでいる訳ではないのです。その日が来てほしい、来ますようにという願いなのです。
世界最高水準のロボット6体と、意志を通い合わせるまでに心が近づきつつあったプルートゥ。その全員を瞬く間に失ってしまったばかりのアトムには願うことしかできないのでした。
憎しみがなくなれば争いがなくなり、戦争も起こらなくなるでしょう。そうなってほしいと作中でアトムは願い、そう祈りながら手塚や浦沢はペンを走らせていたのでしょう。
このメッセージを受け取った私たち読者は、どれだけアトムや手塚や浦沢が望んだ世界の実現を努力できるでしょうか。
憎い誰かがいる、ということは誰にもあることでしょう。おそらく仕方がないことです。しかし、憎い者がいても憎まないということは、やりようで可能です。過半の人がそれをできるようになったとき、戦争はなくなるかもしれません。
アトムや手塚や浦沢が望んだユートピアは、とてもとても難しいことですが、実現可能なのです。
7、まとめ
『PLUTO』(浦沢直樹/小学館)2巻Act.10「ヘラクレスの巻」から引用
ここまで『PLUTO』及び『鉄腕アトム地上最大のロボット』の簡単な紹介と、両作の比較をして参りました。本稿でお話しした内容を次にまとめます。
- 『PLUTO』作品の基本情報。
- 『PLUTO』の主人公はアトムではなくゲジヒト。
- 『PLUTO』のストーリーは浦沢得意のサスペンス仕立てに。
- 『PLUTO』では登場人物のデザインも大幅に変更、かなりお洒落に。
- 『PLUTO』は『地上最大のロボット』から「人間とロボットの共存」 「 ロボットの人権」「 反戦」というテーマを引き継いでいる。
既読の方は上記を踏まえて、改めて『PLUTO』を再読して頂きますと、新たな発見もあるのではないでしょうか。未読の方は本稿に目を通されたこの機会に、どうか『PLUTO』にふれてください。
ライター 衛澤創
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