どうもマンガタリライターのペンタです。
今回はキングダムでも感動的なシーン上位に入る蕞の攻防戦に注目して書いていきます。
原先生が、秦vs合従軍の戦いのクライマックスに設定した戦いですね。
秦VS連合軍との戦いの終結を決定付けた戦で、かなりドラマチックな展開でしたね。
- 山の民が駆けつけるシーンで感動した
- 政が民に檄を飛ばしたシーンで鳥肌がたった
- 麃公兵の奮闘にグッときた
などなど、印象に残ってる人も多いはずです。
そんな蕞の攻防戦ですが、、
当初、蕞には女子供や老人の民しかいなく、戦える城ではありませんでした。
そんな蕞の城が精鋭ぞろいの李牧軍を打ち負かしたのは、いくつもの要素がたまたま重なったことによるものだったのです。
奇跡的に積み上げられた13個もの要素によってあの大勝利は出来上がったのです。
13個の要素のうち、一つでもなければ秦の国は滅びていたことでしょう。
勝利を作った13個もの要素について考察していきます。
ぜひあの感動を思い出しながら読んでいってください。
目次
1 蕞の攻城戦はどんな戦いだったかを超簡単におさらい
軍の主力を函谷関にほぼ全て送っている秦には、対抗する術がまったくありませんでした。
蕞には、ほとんどが女子供や老人でした、、
そんな絶望的な状況から精鋭率いる李牧軍に勝利することが出来た蕞の攻城戦を軽くおさらいしましょう。
1−1 戦いの直前は兵士がいなく降伏寸前だった蕞の民
函谷関に兵力のほぼ全てを送っていたため、蕞の城にも男手はほとんどいませんでした。
蕞の民3万のうち、女、子供、老人が2万ほどでとても戦える状況ではありませんでした。
その証拠に政が民を集めた際、民はもう敵に降伏しようとしていました。
(キングダム31巻より引用)
それも無理はありません。
なんでも相手はあの李牧率いる3万の精鋭なんですから。
(キングダム31巻より引用)
李牧は、函谷関の戦いで序盤から、兵を秦国に向けて送り続けていました。
あの天才軍師李牧が秦を壊滅させるのに十分と踏んだ兵力を持って攻め込んできているのです。
それに対するは、信たち2千の兵と3万の民、
とても対抗できるほどではありません。
天と地がひっくり返っても勝てない。
それほど絶望的な状況でこの戦は始まったのです。
1−2 戦中は、3日耐えるだけで奇跡と言えるほど常に陥落寸前だった
戦いは始まりましたが、主力は民兵です。
別に剣をふるっていたわけではなく、弓をひいていたわけでもありません。
戦の素人だけでは、1日持ちこたえるだけでもやっとのことでした。
ましてや李牧が夜襲を装う策を用いたせいで、民兵たちは不眠不休で戦うことになるのです。
(キングダム32巻より引用)
歴戦の猛者である昌文君でさえも、そのような状態でこの城がもつかと聞かれた時、
全く読めないと言っています。
「3日しのぐだけでも奇跡」
(キングダム32巻より引用)
そう思われた戦ながらも、民兵たちの必死の奮闘もあり、7日間も持ちこたえる事に成功するのです。
常にギリギリで今にも落ちそうな綱渡り状態を結果的に7日も続けられたのです。
これも民兵や信たちの必死の奮闘のおかげです。
1−3 結果的に、三大天・李牧の読みを大きく裏切った歴史的大勝利
結果的に蕞は大勝利をつかみます。
三大天・李牧でさえもここまで手こずるとは予想していませんでした。
戦を始める前にも、「一般人相手にやりきれませんが、」
(キングダム31巻より引用)
と言ってることから勝つ前提で戦に臨んでいます。
李牧はいつも洞察力が高く、王騎との戦であっても状況を読みきっていました。
麃公に流動が破られた際も、「私の理解の範疇の超える」と言っておきながら慌てた様子はありませんでした。
(キングダム30巻より引用)
そんな李牧が3日目にして息を吹き返した様子を見て蕞を恐れた表情を見せます。
(キングダム32巻より引用)
それほどまでに理屈では言い表せない異常事態が起こった戦なのです。
そうした結果、見事に秦軍が蕞の城で李牧軍を食い止めることに成功し涙の大勝利をつかみとるのです。
(キングダム33巻より引用)
2 蕞の戦いの結果を決定付けた政の準備が成した李牧の2つの敗因
李牧は
- 山の民の援軍
- 王の資質を持つ政の存在
この2つの出来事によって虚をつかれ結果として負けました。
実は、蕞で戦が起こる遥か前から、この2つの布石は打たれていたのです。
これは、秦国側が蕞で勝つためにやったわけではなく、たまたま李牧を欺く結果となったのです。
運も実力のうちという言葉がありますが、これこそ運に味方されたのではないでしょうか?
秦国が行った2つの政策について紹介しましょう。
2−1 山の民との同盟を他国に知らせないための徹底した情報統制
成蟜から王座を奪還するために政は単身で山の民の住む地へと乗り込みます。
信や壁らの協力もあり、政は中華統一のビジョンを見せ楊端和の説得に成功し、同盟を結ぶことができました。
(キングダム3巻より引用)
蕞の戦いでは、この山の民の援軍が決定打となり、勝利を大きく決定付けました。
この同盟を知らなかったのは、政が徹底した情報統制をしていたからです。
(キングダム32巻より引用)
王座をめぐって国内で争うというのは、他国に知られてはいけない情報です。
だからこそ情報封鎖を行いました。何年も前のことですが、、
でもこの情報統制によって李牧は虚をつかれたのです。
慎重な性格の李牧ですから、山の民が駆けつけると知っていれば対策を講じていたでしょう。
政の情報統制、これが無ければ秦の国は滅びてたといっても過言ではありません。
2−2 政が無能な王を演じ、呂不韋に注意が向くよう仕向けた
秦と連合軍が戦う以前に李牧と呂不韋が会見を行いました。
そこでは一時的な休戦同盟が結ばれました。
その際、政は存在感を消してあえて愚者を演じました。
(キングダム17巻より引用)
王騎が見惚れたように政は王の器を持つ人格です。
(キングダム16巻より引用)
その片鱗を見せてしまえば、李牧に見つかり警戒されてしまうでしょう。
なので、政は存在感を消し無能であるように見せたのです。
実際にあの場で、政の存在感はありませんでした。
そのせ成果もあり、李牧も趙の使者たちも実権を握っているのは呂不韋である。と勘違いをしました。
証拠に李牧もそんな器の王が誕生していたことに気づきませんでした。
(キングダム32巻より引用)
政のひと芝居が李牧の目を曇らせたのです。
しかもこの王の存在はかなりこの戦局を左右しました。
李牧からすれば、民を奮い立たせるほどの大将軍はおらぬと踏んでいたわけですからね。
3 秦国軍が持ってる力以上のものを尽くせた3つの前提条件とは?
秦国軍は蕞の民を含め、みなが持ってる力以上の力を出しました。
もし蕞で戦った人たちが持っている以上の力を発揮しなければ、この戦いは早々に終わり負けていたことでしょう。
蕞の民も飛信隊含めてみなが持っている以上の力を発揮できたからこそ、この戦に勝利できたのです。
だが、みながここまで力を発揮できたのは理由があります。
それは3つの前提条件があったからです。
蕞の戦いではこの3つの前提条件を満たしていたからこそ、みなが死力を尽くせたのです。
この3つの条件を具体的に見ていきましょう。
3−1 蕞で連合軍に対抗する将軍が一人もいなかった
蕞には将軍はおろか、まともな兵もいない状態でした。
もちろん政が率いたことによって政はみなにとって精神的支柱となりました。
でもあくまでも精神的支柱であって、戦うのは自分たちしかいないのです。
自分たちの先頭を切って、戦う将軍がいない。
この事実が蕞の民一人一人に覚悟を持たせ、持ってる力以上のものを出させることにつながったのです。
秦国内に大将軍が残っていれば、李牧たちは秦国を落とすことが難しくなります。
そうならないためにも、李牧は意図して函谷関に秦の将軍たちを足止めし、戦力を断ちました。
(キングダム31巻より引用)
そのために李牧は思考し、行動していたのです。
例えば、李牧軍が麃公や信たちから背をうたれたときのことです。
李牧の近くにいる参謀(?)が一旦全体を落ち着かせましょうと進言しました。
李牧はその進言を遮って「私たちがここで対処します。」と言い、素早く迎え撃ちました。
(キングダム30巻より引用)
これは、李牧が麃公を確実に自分の手で討ち取ろうとしたからです。
何故なら、大将軍クラスの男を一人たりとも秦国へと向かわせたくなかったからです。
カイネたちを呼びもどさず対処したのは、麃公の首を確実に取るためです。
必殺の布陣・流動に加え、龐煖を向かわせて見事討ち取りました。
それほどまでに秦国に大将軍を向かわせないことは秦国を落とす上で重要なことだったんです。
だが、李牧が勝利のために将軍クラスの者たちを排除したからこそ、結果的に蕞が戦う城に化したのです。
「自分たちが戦うしかない」
この気持ちを引き出させたことが大きかったのです。
将軍がいないことが全員に戦う覚悟を芽生えさせたのですね。
李牧にとっては皮肉な結果となりました笑
3−2 李牧軍が3万の精鋭で、全員が限界突破しないと対抗できない戦力差だった
この戦に勝てた理由に李牧軍の強さも関係しているのです。
李牧は、函谷関で戦っていた頃から秦国を落とすため、こっそりと秦国内に兵を送り続けていました。
李牧は賢く先を読む力がスバ抜けています。
そんな李牧が十分に国を落とせると判断し、兵力をそろえたわけです。
李牧は相当な戦力を連れていました。
でもこの李牧の行為が逆に信たちの力を引き出したのです。
蕞での戦は、どう考えても勝算の薄い戦いです。
(キングダム31巻より引用)
信たちも、蕞の民たちもいつも通りの働きでは絶対に太刀打ちすることのできない戦力差です。
でもその戦力差を跳ね返せたのは、いつも以上の力を引き出せたからです。
人は窮地に追い込まれれば追い込まれるほど強いパワーを発揮します。
火事場の馬鹿力というやつですね。
信が「民兵たちは10持ってるうちの20を出した。」と語っていることからわかるように
この戦の要である民兵たちも自分が持ってる力以上のものができました。
(キングダム32巻より引用)
これは決死の覚悟でみなが戦っていたからです。
「勝てるかも」というような油断があれば、これほどの力は引き出せなかったでしょう。
つまり、李牧が国を落とすために最大勢力で臨んだことが蕞の国の人間全員の死に物狂いのはたらきをさせたのです。
3−3 国や王を守るという全員の強い意志があった
最後に無視できない要素が一つあります。
それはみなが「国や王を守りたい」という思いを持っていたことです。
(キングダム31巻より引用)
自分の生活も家族も命の保証さえも「全てを失ってしまうかもしれない」という思いが強さを支えていました。
現に、蕞の人々も大王様のためにという一心で武器を手にし、必死に戦い続けていました。
(キングダム32巻より引用)
ボロボロになりながらも、大王さまと語らうためにと命の限りを尽くしていたのです。
信たちも同様に開戦からずっと戦い続けて終わったときには何日も目を覚まさないほどでした。
自分の体を犠牲にしてでも国を守る。
その思いがこの戦いにおいて蕞の城の一番のパワーだったんじゃないかと解釈しています。
この城を抜かれたら国が滅びる。
そうなると、敵兵が残虐の限りを尽くし、家族も無残に殺されてしまう。
(キングダム32巻より引用)
そこまで切羽詰まった戦いだったからこそ、みなが持ってる以上の力を発揮し、勝利できたんです。
4 あなたはいくつ知ってる?蕞の大勝利を生んだ8つの功績を紹介
政の2つの政策によって李牧の虚をつき、蕞の人間みなが死力を尽くす3つの前提条件がありました。
ただこの5つの要素だけでは、まだまだ
(キングダム32巻より引用)
奇跡を起こすには至りません。
信も6日目の夜に「奇跡」という言葉を使っていましたが、
この戦は実際に奇跡的に8個もの要素が積み重なり、大勝利を支えたのです。
その要素を一つずつ紹介しましょう。
4−1 麃公が龐煖の片腕をへし折った功績
李牧の策によって麃公は窮地に追いやられ、最後は信に盾を託し敗れてしまいましたが、最後に龐煖の片腕をへし折りました。
(キングダム30巻より引用)
この出来事も蕞の城の勝利の一因となっています。
この戦いの終盤、山の民が駆けつけ李牧軍には敗北の空気が流れていました。
でも、その空気を変えたのが武神・龐煖です。
正直龐煖の武は、人外の領域にあり、もはや天災といっていいレベルです。
(キングダム32巻より引用)
その龐煖に麃公の盾を受け取った信が立ち向かうのです。
この瞬間に、信の後ろに麃公の姿が見えたのは僕だけではないでしょう。
信は負傷しているとは相手とはいえ、龐煖に打ち勝つことができたのです。
(キングダム33巻より引用)
ここでの信の奮闘が李牧軍最後の希望である龐煖を退却させたのです。
龐煖が万全な状態であれば、信が負ける可能性の方が高いかったし、その後楊端和が討たれる可能性も考えられなくもないです。
そうなれば、完全に李牧軍の方に流れが向いてしまうのです。
龐煖が信に負けたのも、すべて麃公が命を賭けて龐煖に痛手を負わせていたからなのです。
だからこそ信は龐煖に力で勝つことができ、深手を負わせ追っ払うことに成功したのです。
4−2 信を制御できる唯一の将軍・壁の同行
麃公が打ち取られた際、信は麃公の仇を取るべく周りの制止も無視して李牧の元に向かおうとしていました。
でも、そこで信をぶん殴り冷静さを取り戻したのが壁です。
(キングダム30巻より引用)
ここはあまりつぶたてられてませんが、かなり大きな功績なのです。
麃公が打ち取られ、信はかなり感情的になっていました。
無理もありません。
麃公は信にとって戦友であり、ある種父親のような感覚も持っていました。
そんな人を失い、冷静さを失わないわけがありません。
感情的になった信を押さえられるのは、飛信隊には誰もいません。
河了貂や尾平でも抑えられなかったでしょう。
壁はうまく信を押さえ、その後も指揮を取り蕞の城でも東壁を任されました。
しかも壁がその場にいることは、偶然なのです。
函谷関では、壁は蒙武軍に所属していました。
(キングダム28巻より引用)
つまり本来なら、信や麃公たちと一緒にいることはなかったのです。
だが蒙武が汗明に勝利したことで蒙武軍が有利となり、壁が麃公軍の援軍に駆けつけることができたのです。
(キングダム30巻より引用)
そうやって合流した後に麃公が異変に気づき、一緒についてきたからこそあの地にいるのです。
つまり、いるはずのなかった壁将軍がいたことで信の命も、蕞も救われたのです。
4−3 呂不韋・支柱であり軍総司令部の昌平君の寝返り
そもそも政が蕞に出陣したのは、昌平君の助言があったからです。
(キングダム30巻より引用)
でもこれは呂不韋の支柱であることを考えれば、あり得ぬ行為なのです。
もちろん軍の総司令部として国を守る決断をするのは正しいことです。
ですが、あくまでも昌平君は呂不韋の部下です。
政たちに利がはたらくことは主君である呂不韋の意志にそむくことなのです。
賢い昌平君ですから、怒りを買うことを分かった上で政に助言をし、さらには介億を含む側近100名を蕞に送りました。
(キングダム31巻より引用)
その中には蒙毅を含む指揮官50人も連れてきていたので、蕞の城で戦うにあたってかなり戦力となりました。
敵対しながらも共に戦ううちに昌平君も政に魅入られていたのでしょう。
呂不韋に背くことをわかっていながら決断したのです。
しかもそのことを「取るに足らぬ小事」と言ってしまうシーンはしびれましたね。
(キングダム31巻より引用)
蕞の民を動かした政。
その政を動かしたのは昌平君です。
つまりこの戦いが幕を開けたのは、昌平君が政に力を貸したことが大きく関わっているのです。
昌平君の寝返りが与えた影響は計り知れませんね。
4−4 蕞の民を兵士に化けさせた政の檄
これは、みなさんの印象にも強く残ってるはずです。
今にも降伏しそうだった蕞の民。
それを言葉のみで、戦う兵士に変えた政の檄は凄まじいパワーを持っていました。
(キングダム31巻より引用)
昌文君もあまりの衝撃に昭王を超えると涙を流すほどです。
(キングダム31巻より引用)
実際に李牧軍が到着し、脅しの言葉をかけられても蕞の民はひるむことはありませんでした。
むしろ割れんばかりの士気の高さで応戦し、敵兵とまともに渡り合ったのです。
これは間違いなく、政の檄によるものです。
政は「共に戦い、血を流す」ことを民に告げました。
その言葉でいっそう大きく民衆の心に火がついたのです。
王が自分達と共に命を投げ打って戦おうとしている。
姿を見ることさえありがたい王が自分達と共に血を流す
(キングダム31巻より引用)
その言葉を聞いて心を揺さぶられない民がいるでしょうか?
民衆たちはどれほど感動したでしょうか、、、
政の檄がこの戦いに火をつけ、李牧軍を迎え撃つ兵力がそろったのです。
4−5 昌平君の部下・介億の絶妙な采配
その昌平君の側近である介億。彼は癖のある髪型や癖のある喋り方の持ち主です。
(キングダム31巻より引用)
昌平君の側近であることからわかるように非常に優秀な人材です。
蕞の攻城戦でも、描写は地味ながら蕞の城を守る上でかなり重要なはたらきをしていたのです。
(キングダム32巻より引用)
よく見ると、介億は指揮だけでなく自ら戦いながら指揮をとっていました。
つまり自ら敵を斬りながら他の戦場の状況を把握し、頃合いを見て援軍を送っていたのです。
つまり介億は、指揮官としての頭の良さもありながら、武士としての才も持ち合わせているということです。
追い詰められても冷静に判断でき、瞬時に援軍を派遣できる介億のはたらきは決して小さくありませんでした。
この介億の絶妙の采配が、蕞の危機を度々すくっていたのです。
(キングダム32巻より引用)
彼のはたらきなしでは、蕞の城は7日間も持つことなく、もっと早く落ちていたことでしょう。
4−6 不眠不休で満身創痍である蕞の民の覚醒
政の檄によって勇気付けられ鼓舞された蕞の民兵たち、
彼らが一番奇跡を起こしたといっても過言ではありません。
最初王の言葉によって立ち上がった民兵たちは、一時的な興奮状態かと思われていました。
なので、そんな状態は長くは続かない。
そう敵も判断していました。
(キングダム31巻より引用)
李牧も夜襲を装い、民兵はそのせいで不眠不休でずっと戦っていました。
不眠不休で過ごし、昌文君たちでさえ読めなかった三日目、民兵たちが一気に敵を押し返し始めたのです。
しかもそれは四方の壁すべてで起きたのです。
心身ともに疲弊していたはずの民兵たちが覚醒したのです。
(キングダム32巻より引用)
政は民兵たちを焚きつけ戦場へと狩り出しました。
そして毎晩にわたって陣営を回り、民たちを鼓舞し続けました。
その政のつけた火が民兵たちの中でずっと消えずに燃え続けているのでしょう。
家族のために、国のために、王のために、そんな思いの民兵たちは最後まで戦い続けました。
元々は兵士もいなく、戦う城ではなかった蕞の城。
それが民兵たちの決死のはたらきで戦う城へと化けたのです。
(キングダム32巻より引用)
この戦いの核となる民兵の覚醒は、のちに褒美をもらえるほど絶大な影響をもたらしました。
4−7 信の敵軍を壊滅させるほどの覚醒
介億の絶妙な采配によって東壁、北壁、西壁は守られていました。
介億の援軍が届かない南壁は、飛信隊の武力のみで守られていたのです。
(キングダム32巻より引用)
信は6日目の戦いが始まる前、飛信隊に宣言していました。
(キングダム32巻より引用)
「俺たちは10持ってるうちの30出す、ちなみに俺は100出す」と誓い、宣言通り信は敵の1部隊を壊滅させるほど敵を斬りまくるのです。
民兵同様、信は函谷関の戦いから20日ほど戦い続けています、
それでもなお南壁の部隊を一人で壊滅させるほどの力を発揮できるのは恐ろしいですね。
(キングダム32巻より引用)
白目をむき出しにして今にも倒れそうな状態で剣を振り回す姿は「絶対に守りきる」という強い意志を感じましたね。
で、ポイントは6日目です。
信が「6日目に覚醒する」というのが大事なのです。
5日目に政が敵に斬られ、「大王が倒れた」という情報が軍内に流れ士気はかなり下がっていました。
民兵たちの士気は正直なところ「政の存在」によって支えられてました。
なので、その大黒柱を失った6日目の蕞は最も危うい状態だったのです。
(キングダム32巻より引用)
政は復活したとはいえ、蕞は大きな拠り所を失っていました。
だからこそ信は6日目で自分の持てる力を最大限発揮したのです。
こうして6日目も防衛に成功し、勝利の7日目につながったのです。
「信が最も士気の下がった6日目に覚醒したこと」
これが起きていなければ、もう少し早く蕞の城は落ち楊端和の援軍も間に合わなかったでしょう。。。
4−8 戦の途中であった山の民による援軍が7日目に到着したこと
この戦を決定付けたのが、山の民による援軍です。
(キングダム32巻より引用)
あの瞬間は昌文君につられて涙した人も多いことでしょう。
しかもこの援軍が7日目に間に合ったことはただごとではありません。
山の民は勢力拡大のために北の奥地まで赴き、交戦中でした。
山の民にとって自分たちの国を空にするほどの兵力を注ぎ込むということは、かなり大きい戦であることが予想されます。
それでもなお主力を援軍として送り込んでくれたのです。
(自分達も交戦中なのにタジフや楊端和までつれてきて大丈夫かと思いましたが笑)
しかも最短で8日はかかるところをたった7日で駆けつけてくれたのです。
(キングダム32巻より引用)
正直援軍があと数刻遅れていたら、蕞の城は李牧の手によって落ちていました。
もう敵が場内に侵入してるほどでしたし、、、
山の民は、ココしかないというタイミングで間に合ったのです。
5 蕞の攻城戦の勝利の理由を改めて考察
以上の13個の要素が奇跡的に重なり、蕞の城は李牧軍の攻めを守り抜くことができたのです。
この蕞の城の戦いはいくつもの要素が偶然重なったもので、一つでも欠けていれば間違いなく敗北だったでしょう。
- 戦の前に起こった2つのこと
- 蕞での兵士全員が死力を尽くせた3つの前提条件
- 戦の中で起こった8つの出来事
これらは蕞の城で勝つために起こるべくして起こったのです。
李牧の「なるべくしてなっている」という発言が奇跡的であったことを物語っていますね。
(キングダム32巻より引用)
李牧は十二分に勝てると踏み、この戦いに挑みました。
だが自分の予想をはるかに上回ることが連鎖的に起こり、負けました。
李牧は言葉にはしていないですが、この瞬間に自分たちが「負けるべくして負けた」ことがわかったのです。
では何故負けたのかの考察に移っていきます。
李牧自身は、負けた要因として秦王の出現とその器からすべて始まっていると考えていました。
つまり秦王である政が誕生したことから、勝利のための布石が知らず知らずのうちに打たれていたのです。
もちろん戦の中で起こった8つの出来事も勝利を支えた要因ではありましたが、李牧の虚をついた大きな要因は、
- 政という王の資質を持つ秦王が出現していたこと
これだと考えます。
山の民との同盟も勝敗を決定付けた大きな要因です。
が、元はといえば、山の民との同盟が結ばれたのは政が楊端和の心を動かしたからです。
李牧の読みでは、山の民などと同盟を組めるほどの資質を持つ王など存在しない。
そう考えていたからこそ、同盟という可能性もほとんど頭に入れていなかったのでしょう。
蕞の民が立ち上がったのも政によってです。
蕞の民の覚醒も「王(政)のために」という思いがあったからです。
- 昌平君の寝返り
- 采配で功を成した介億が蕞に来たこと
- 疲労困憊の信が蕞の城で息を吹き返したこと
元をたどれば、政の存在がもたらしたものなのです。
まとめると蕞での勝利は、
- 政という王の誕生や資質という大きな要素を起点としていくつもの要素が積み重なった結果
だと言えます。
政が蕞の勝利の全てということを言いたいわけではありません。
政という大きく太い一つの幹があり、他の要素が枝葉のようにつき勝利という大きな花を咲かせた。
そんなイメージです。
もちろんこの勝利は政を始め、蕞の民、信、飛信隊、麃公、壁、昌平君、介億、山の民、他にも秦国軍の兵士などなど。
すべて人の手によって積み上げられた奇跡です。
みなが死力を尽くした結果、掴み取れた勝利なのです。
多くの人の血が流れ、満身創痍な状態でみなが死力を尽くしました。
だからこそ、ドラマチックで見ていて熱くなるような戦いだったのでしょう。
これほどまでに感動的な戦いは後にも先にもないかもしれませんね。
あるとすれば、中華統一の瞬間ですかね。
本当に1つの国として統一できるのか楽しみですね!
6 まとめ
13個もの要素が絡み合い、みんなが死力を尽くした。
そしてそれは王の資質を持つ政を軸として生まれたものだった。
それが蕞の城で大勝利をつかんだ理由でしょう。
こうして勝利の要因を見ると、戦いを違った視点で見ることができて面白いですね。
みなさんもこういう視点でも楽しんでください。
- 蕞の攻城戦で「ココのシーンも取り上げて欲しい!」という意見
- この戦いにも注目した記事を書いて欲しい
- こんなものは奇跡とは呼べない笑
など辛辣な意見も含めて、コメント欄から投稿してくださいね。
読んでいただいてありがとうございました。
マンガタリライター・ペンタ
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