どうも。語り部の相羽裕司です。
ついに続編の「北海道編」が始まって話題の
『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』。
漫画、アニメ、映画、宝塚などなどで、大ヒットした左頬に十字傷の剣客の物語が再びです。正式な「続編」ということで、気になっていた方も多いのではないでしょうか?
(画像は『ジャンプSQ. 2017年10月号』電子書籍版より引用)
現代って、けっこう『るろうに剣心』の時代と似ていると思うのです。
『るろうに剣心』の舞台は明治維新前後です。
日本の歴史の中でも、社会の仕組みが大きく変わって、新しい技術や価値観も普及していくなど、変化が激しい時代です。
一方、現代に生きる我々も、
- ベーシックインカム
- ビッグデータ&AI
- VR/AR
- ブロックチェーン技術
などなどと、時代に変化の波が来てるのを実感しながら生きていたりします。
『るろうに剣心』で描かれる時代と同じく変化のスピードが速い今だからこそ、読み直してみると気づきがあったり、心の糧になるものが見つかったりすると思うのです。
そんなタイミングで、
作者の和月伸宏先生ご本人による正式続編「北海道編」が始まったではありませんか。
これは、気になってしまいますね!
今回の記事では、「原作漫画」本編を振り返りつつ、『るろうに剣心』という作品が持つテーマがどのように続編の「北海道編」に繋がっていくのか? という辺りを、丁寧に、そして楽しく語っていきたいと思います。
目次
1.『るろうに剣心』の続編「北海道編」とは
今年2017年、『ジャンプSQ.10月号』から連載が始まった、和月伸宏先生ご本人が描く漫画『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』の続編作品です。
記事の後ろの方で語らせて頂きますが、キャラクター、世界観、何より作品の「テーマ」をしっかりと受け継いだ、紛れもない正式「続編」であります。
2.個人的な『るろうに剣心』の思い出を振り返る
著者 | 和月 伸宏 |
---|---|
出版社 | 集英社 |
掲載雑誌 | 週刊少年ジャンプ |
巻数 | 単行本28巻(完結) |
漫画『るろうに剣心』の週刊少年ジャンプでの連載が開始されたのは、1994年。
僕の個人的な『るろ剣』体験を振り返ってみるならば、子供の頃、週刊少年ジャンプ読者だった僕は、1993年21・22合併号に掲載された『るろうに剣心』本編連載前の読み切り版が『るろ剣』との最初の出会いでした。
(読み切り版/画像は『るろうに剣心』第1巻電子書籍版より引用)
この連載前の読み切り版の時からすごい好きで、掲載されたジャンプを取っておいて何度も読みました。
その後、ついに週刊少年ジャンプ本誌での連載が開始。
序盤の物語だけでも、剣心、薫、弥彦、左之助、恵といった魅力的なキャラクターたち、明治初期が舞台という当時の体験としては新鮮だった世界観……などなどに子供心に心を掴まれて、しばらくジャンプの発売日には、早朝、学校に行く前に家から少し遠いコンビニまで出向いてジャンプを買って、読んでから登校していたほどです(笑)。
ついに第一巻が発売された時はすぐに品薄になり、宮城県は仙台中の書店を探し回ったものでした。
ようやく一冊見つけて購入し、没頭して読む……という喜びは、ネット時代の今にはない独特の充実感がある体験だったと振り返って思います。
さらには勢いあまって、『るろ剣』の影響で中学の部活動は剣道部に入部。
当時の剣道部員は、ついつい竹刀で飛天御剣流(ひてんみつるぎりゅう)の真似をしたりしたものでした。特に双龍閃(そうりゅうせん)とか、やりましたよね?
話がそれましたね(笑)。今回の記事では「居場所」というキーワードで『るろうに剣心』を語っていきますが、まずは大まかなストーリーを振り返ってみましょう。
2-1.『るろうに剣心』のストーリー
幕末に「人斬り抜刀斎」として沢山の暗殺に携わった剣客・緋村剣心は、明治維新後は「不殺」(ころさず)の誓いを胸に、流浪人(るろうに)として全国を回ります。
明治10年の東京での神谷薫との出会いから物語が始まり、同じく激動の時代を生きた宿敵達との戦いを通して、自身の贖罪というテーマに向き合い、やがて新たな時代での生き方を掴みとっていく。そんなストーリーです。
いくつかのテーマが重層的に描かれている作品ですが、今回はとくに、激動の時代に心が傷ついた人たちが「居場所」を求める物語でもあるんだという点に焦点をあてたいと思います。
剣心自身が、人斬りだった「過去」にとても心が傷ついてる所から始まる物語だったりするのですね。
志々雄真実(ししおまこと)、雪代縁(ゆきしろえにし)ら、「過去」を象徴する宿敵たちと対峙しながら、同時に剣心の心の再生の過程を描いている物語でもあります。
その再生の過程に必要だったものが「居場所」だったという話を今回は語っていくのですが、その前に、近年のものを中心にメディアミックスについて見てみましょう。
2-2.アニメ、映画、宝塚などメディアミックスを通して世代を超えて愛されている
何しろ歴史が長い作品ですので、全てのメディアミックスをここで網羅することはできませんが、
僕なんぞは、最初のメディアミックス作品と言えるカセットテープ版をまだ持ってたりします。
裏面には「1994年12月発行」と書いてあります。これを今でも持ってる人はレアですね!
若い人にとっては、カセットテープって何? という感じですよね(笑)。
とても全てに触れることはできないので、今回は代表的なメディアミックスであるアニメ、実写映画、宝塚についてだけ触れておきます。
●アニメ
1996年~1998年にかけてフジテレビ系列で放送されたTVアニメシリーズがあります。
初代主題歌、JUDY AND MARYの「そばかす」は90年代のヒットソングの一つですね。該当する世代の方は、カラオケで歌ったり聴いたりした記憶が蘇る人も多いでしょう。
OVAシリーズとして、1999年に全4巻で発売された剣心の過去を描いた「追憶編」、2001年に上下巻(全2巻)で発売された原作漫画の後の剣心をオリジナルストーリーで描く「星霜編」も有名です。
僕個人としては、「追憶編」は叙情的な雰囲気が。「星霜編」はよく動くアクションシーンが好きです。
●映画
特に近年のメディアミックスである実写映画と宝塚に関しては、和月先生としても「北海道編」制作の大きな動機となっているようです。
(和月伸宏先生としても映画と宝塚は「北海道編」制作の動機として大きかったのが伺える『ジャンプSQ. 2017年10月号』の「あとがき」より)
(画像は『ジャンプSQ. 2017年10月号』電子書籍版より引用)
『るろうに剣心』のタイトルで2012年に実写映画が公開されました。
続編である第2作『るろうに剣心 京都大火編』は2014年8月、同年9月には第3作『るろうに剣心 伝説の最期編』が連続公開されております。
主演の佐藤健さん(緋村剣心役)が話題になってTVなど様々なメディアで映っていたので、佐藤健さんの印象で覚えている方も多いかもしれませんね。
●宝塚
「浪漫活劇 『るろうに剣心』」と題し宝塚歌劇団雪組により歌劇(ミュージカル)化されて、2016年2月5日から兵庫・宝塚大劇場、4月1日から東京宝塚劇場にて上演されました。
女性が剣心を演じるということで、当時TwitterなどのSNSで話題になっていたのを覚えている人も多いかもしれません。
カセットテープ世代も、Amazonビデオで映画だけ観たよというような若い世代も。
趣味はマンガですというちょっとオタク的な人も、趣味は宝塚鑑賞ですというようなちょっとハイソな感じの人も。
『るろうに剣心』は、共通の話題にできてしまったりするということです。
世代が離れたり、趣味が違うと、それぞれの場所に閉じこもって他所とは断絶しがちな時代に、とても素晴らしい体験を提供している作品と言えると思います。
そんな『るろうに剣心』についてこれから語っていきますが・・・・
以下、「3」からは「原作漫画」本編のネタバレも含みますので、気にされる方は気をつけて頂けたらと思います。
3.傷ついた人が一時休める「居場所」の物語としての『るろうに剣心』
明治維新前後は、変化の激しい時代だという話をしました。
そういった「変革期」というのは、何かと「居場所」をなくす人が沢山出る時代であるとも言えます。
「居場所」とは何なのか? どこなのか? はこれから語っていきますが、たとえば直感的に
- 「家」
- 「家族」
を「居場所」として連想する人は多いかと思います。
代表的な「居場所」である「家」や「家族」でさえ、『るろうに剣心』の劇中には失くしてしまった人たちが沢山出てきます。
他ならぬ主人公の剣心がそうですし、明神弥彦、高荷恵、後半で詳しく語る敵役の志々雄真実や雪代縁もそうですね。
激動の時代の中、沢山の心が傷ついた人たちが描かれています。
日本で初の公立精神科病院が出来たのは明治初期なのですが、ちょうど西洋思想(西洋の精神医療含む)の日本への導入があった時期ということもありますが、その頃に精神を病んだ人が多かったのかな? と推察されたりもします。
急激な時代の変化に、普通の人は心が追いついていかないのは想像できるところです。
心が傷ついているのに、心が休まる「居場所」も奪われてしまっている状況で生きていくというのは、とても心に負荷がかかる状態です。
現代と重なる部分ですね。あまりにも時代の変化が急なので、ついて行けずに心を病んでしまうような人がけっこう多くなっていたりします。精神疾患により医療機関にかかっている人の数が近年増えている……なんてニュースをあなたも聞いたことがあるかもしれません。
「時代が先に進んで行く」……というのは、色々なことが便利になっていったりとポジティブな面がある一方で、その「先に進んで行く流れ」から取り残されてしまう人たちがいるのを、忘れてはいけないでしょう。
『るろうに剣心』では新しい時代に適応できなかった没落した侍などが描かれていますが、それは現代ならば、
- リストラされてしまった会社員
- 引きこもった状態である人
- 病気、障害がある人
などなどであったりするかもしれません。
作者の和月伸宏先生の素の温かさが作品に反映されてる箇所かと思っているのですが、『るろうに剣心』はそのような、どんどん時代が進んで行く中で、取り残されてしまうような立場の人に寄り添っている作品でもあると思うのです。
3-1.明治維新前後の「変革期」に「居場所」を失ってしまう人々
「時代が先に進んで行く」というのは、価値観がガラっと変わるということです。「古い価値観」から、「新しい価値観」へと、速いスピードで一気に変わっていってしまう。
『るろうに剣心』ですと、明治初期に、信じるに足るものが「刀」から「お金」に一気に変わったというのが描かれていたりします。
歴史的にも、現代に通ずる資本主義がどっと日本に入ってきたのがこの頃ですね。
成功者の条件、もうちょっと抽象的には「強さ」の条件も、「刀」、つまり武芸で秀でることよりも、「お金」、つまり商売・ビジネスが上手い人へと急速に変わっていきます。
逆刃刀(さかばとう)という形で、もはや「古い価値観」である「刀」を未だ捨てきれない剣心の前に、「新しい価値観」である「お金」という要素が絡んでくる……という展開は、中盤の「京都編」や、終盤の「人誅編」でも重要なエピソードとして描かれていますが、作中で一番象徴的なのは、序盤の「東京編」で描かれる「お金」の権化、武田観柳(たけだかんりゅう)というキャラクターでしょう。
(画像は『るろうに剣心』第4巻電子書籍版より引用)
物語序盤から、「古い価値観」である「刀」と、「新しい価値観」である「お金」がせめぎ合っている時代である……というまさに「変革期」の雰囲気を描いているのですね。
現代もまさに様々な場面で「古い価値観」と「新しい価値観」がせめぎ合っている時代です。
それは紙の書籍から電子書籍へという変化かもしれませんし、
会社員として定年まで働くのが当たり前という価値観から、ネットを使ってフリーランス的に働くのもアリという価値観への変化かもしれませんし、
「お金」といえば「現金」が当たり前だった考え方から、「仮想通貨」というものもあるんだという考え方への変化であるかもしれません。
激しい変化にさらされた時、人は価値観が揺さぶられ、心にとても大きな負荷を負います。
そういう「変革期」に、人はどう生きるのか? というのを、その時代その時代の読者に問いかけているようで、僕はこの『るろうに剣心』という作品に時代を超える普遍性を感じている部分なのです。
変化の時代、心に負荷を負った人は「居場所」を失い、孤立し、心が傷ついてしまいがちです。
そんな時の人の生き方、心の持ち方を、『るろうに剣心』は教えてくれる気がするのです。
3-2.緋村剣心の「居場所」として描かれる神谷薫
さて、具体的に主人公の剣心を通して、『るろうに剣心』が「居場所」の物語であるという点を見ていってみましょう。
ここまで見てきた時代の「変革期」の渦中で「取り残されている」人の代表が、他ならぬ主人公の緋村剣心なのですね。
まず象徴的には、第一話が剣心の「居場所」の獲得の話になっています。
さて、ここで改めて「居場所」って何でしょう?
「居場所」という言葉から連想される場所、あるいは人は、本当に人ぞれぞれだと思います。
既に述べたように「家」を連想する人もいるでしょうし、「学校の部活動の部室」を連想する人もいるでしょうし、「趣味仲間が集う喫茶店」を連想する人もいるでしょう。
共通しているのは、「ホッとできる場所」「休める場所」と言えるかもしれません。
そういう場所にいる人は、あなたにとってどういう人でしょうか?
「家族」「学校の友達」「趣味仲間」、誰の顔が思い浮かぶかは、人それぞれだと思いますが。
それは、「ありのままのあなたを受け入れてくれる人」だと思います。
現代社会で、会社が自分の「居場所」という気がしないという人が多いのは、おそらく、会社では「ありのままの自分」でいられない人が多いからです。
「ありのままの自分を受け入れてくれる人がいる場所」があれば、そこはその人の「居場所」になります。
変化の激しい「価値観」が揺さぶられてしまう時代でも、一時ホっとすることができる、大切な場所です。心が傷ついてしまっても回復することができる、あなたの心を守ってくれる拠り所となる場所です。
『るろうに剣心』本編の話に戻りますと、過去の「破綻的な出来事」で罪の意識を背負っていた剣心は、「ありのままの自分」でいられる場所がなくて流浪人として彷徨っていたのですが、第一話は、薫がそんな剣心の過去をも問わずに、ありのままの剣心を受け入れる……という話になっているのですね。
(画像は『るろうに剣心』第1巻電子書籍版より引用)
薫は作中で一貫して「受け入れる」態度をもったヒロインとして描かれています。『るろうに剣心』は剣心にとっての「居場所」が「薫の側」になるまでを描いた物語とも捉えられます。
第一話に剣心の「居場所」というテーマのエッセンスは詰まっていますが、物語全体としては、「人誅編」で剣心が薫を失い(失ったと思い)洛人群で過ごし、そこからもう一度立ち上がるまでの流れが物語の山場として設定されています。
物語終盤の「人誅編」。
「居場所」になっていた薫を失った(と思った)剣心は、文字通り「居場所」を失い、「居場所」がない人間が流れ着く「洛人群」で廃人のようになって過ごしてしまいます。
(画像は『るろうに剣心』第24巻電子書籍版より引用)
ここで「居場所」を失ってボロボロになってしまった剣心が、いかに立ち上がり、いかに再び「居場所」である薫を取り戻すために再起するのか。僕としては、ここが物語全体のクライマックスなのだと思っております。
剣心がここから立ち上がる過程は、原作漫画読了済みの方には言わずもがななシーンですし、まだ読んでないという方には是非自分の目で読んでほしい部分なので、ちょっとだけ引用画像で雰囲気だけ……。
(画像は『るろうに剣心』第25巻電子書籍版より引用)
かくして立ち上がり、縁との最後の戦いに赴く剣心。
薫は「居場所をくれた人」なのですね。それは、剣心のみならず、劇中で「居場所」を失って傷つき、迷い、心に負荷を負った全てのキャラクターたちすべての希望として描かれています。その希望だけは。薫のような人間だけは守らないといけない。
薫のような人間がこの世にいてくれる限り、いつか縁にもまた「居場所」が見つかるかもしれない。『るろうに剣心』の最後の戦いは、そういった「居場所」を守るための戦いなのです。
最後の戦いに勝利した後。
流浪人(=「居場所」がない存在)だった剣心に、「家族」という「居場所」ができて、物語は終劇しています。
(画像は『るろうに剣心』最終巻電子書籍版より引用)
3-3.高荷恵、志々雄真実、雪代縁にも「居場所」の物語は描かれている
『るろうに剣心』における「居場所」の物語は、主人公の剣心のみならず、劇中の様々なキャラクターたちの物語として描かれています。
ここでは、主要な三人の「居場所」の物語を取り上げてみましょう。
●高荷恵の「居場所」
幕末の動乱で家族を失い孤立して、阿片の密売にも関わってしまっていたところを、剣心に助けられて、「神谷道場」が一時の「居場所」に。
そこでの「休息」の時間を経て、癒され、物語ラストでは自分の道に旅立っていく……というキャラクターですね。
続いて、敵側の志々雄真実や雪代縁も、色濃くこの「居場所」というテーマを背後に抱えているというのも見ていってみましょう。
●志々雄真実の「居場所」
幕末の動乱期に人斬りとして活動し、最後に始末されてしまった志々雄真実は、やはり幕末という「変革期」に「居場所」をなくした人間であると捉えられます。
剣心も幕末期に「居場所」をなくして流浪人になってますので、剣心と志々雄真実は、鏡合わせのようなキャラクターになってるのですね。
そして、幕末に「居場所」をなくしてからの、「明治」の生き方とその結末が剣心と志々雄真実は異なり、お互いがお互いのイフ(=もしも)の存在として描かれています。
剣心は、流浪人になった後に「薫の側」という「居場所」を見つけて生きます。
志々雄真実は、自分を排斥した世界に対して革命を企てた後、最終的には「駒形由美(こまがたゆみ)の側」にその身を置きながら死にます。
剣心と、志々雄真実それぞれに、薫、由美の隣とヒロインの側に「居場所」を見つけながら、剣心と薫は二人で生きて、志々雄真実と由美は二人で死ぬと、結末が対照的に分かれる……というのも『るろうに剣心』という作品の妙味です。
(画像は『るろうに剣心』最終巻電子書籍版より引用)
(画像は『るろうに剣心』第17巻電子書籍版より引用)
●雪代縁の「居場所」
剣心に最終的に「家族」という「居場所」ができるまでの物語なんだという話を書きましたが。
その「家族」。つまり姉の雪代巴を剣心によって奪われて、「居場所」を失ってしまったキャラクターというのが雪代縁です。剣心の「過去」の罪を象徴しているようなキャラクターですね。
物語上のラスボスポジションですが、最後は巴の面影を重ねてしまう薫によって、ちょっとだけ救われている……というような落としどころのキャラクターです。
そういうちょっとした救いは描かれているのですが、ラストは洛人群にいるシーン、つまり縁も「居場所」を失ってしまってるシーンで終わっているので、原作漫画本編では明確な救済が描かれていないキャラクターとも言えます。
これ、個人的に続編の「北海道編」への登場が期待されるキャラクターですね。何らかの形で縁にも「居場所」ができる……みたいなシーンが描かれたら、ちょっと泣いてしまいそうですね。
「居場所」の物語は『るろうに剣心』の中には何重にも編み込まれていて、相互に関係し合うように描かれているのでした。
4.続編「北海道編」が引き続き『るろ剣』好きにお勧めな理由
さて、いよいよここまでの話が『るろうに剣心』の続編「北海道編」に繋がっていきます。
作者である和月伸宏先生自ら描いている。
剣心や薫といったキャラクターたちが、原作漫画本編の続きの時間軸で正式に登場してくる。
これだけでもついに始まった「北海道編」は胸躍るものがあります。
加えて、今回の記事で強調したいのは、ここまで語ってきた「居場所」という作品のテーマも、「北海道編」ではしっかりと受け継がれているという点です。
・変化が激しい時代の「変革期」の中で、傷ついた人間が描かれる。
・そういう立場の人間に対して、薫が引き続き「受け入れる」人として描かれている。
この二点が、しっかりと継承されていた「北海道編」第一話でありました。
動乱の時代で「居場所」をなくした子供たち、長谷川明日郎(はせがわあしたろう)、井上阿爛(いのうえあらん)、久保田旭(くぼたあさひ)の三名がメインキャラクターとして「北海道編」では新たに登場してきますが、第一話では、その中の一人、旭に薫が「居場所」――過去に傷を負っていても、字が読めなくても、ありのままの自分を受け入れてくれる場所……を提供します。
かつて原作漫画本編の第一話で剣心に「居場所」を提供したのと同じように。
(画像は『るろうに剣心』第1巻電子書籍版「るろうに剣心」第1話より引用)
(画像は『ジャンプSQ. 2017年10月号』電子書籍版「るろうに剣心 北海道編」第1話より引用)
繰り返される、「変革期」の時代の厳しさの中で孤立した人に、「居場所」を提供する……という物語。
キャラクター、世界観のみならず、何より「居場所」という作品のテーマの側面からも紛れもない続編であることが伺えますね。
テーマが継承されているということは、いわば作品の「魂」が継承されているということですので、僕としては自信を持って「北海道編」を正統なる『るろうに剣心』の続編として、全ての「るろ剣」好きにお勧めしたいところなのでした。
5.まとめ
「無縁社会」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
NHKの「クローズアップ現代」で扱われて有名になった言葉ですが、人々が孤立しがちな現代日本の世相を表すキーワードと言われています。
現代も明治維新前後に負けず劣らずの「変革期」なのに、そういう時に助け合える人と人との「縁」も希薄になってしまっている……らしいです。
心が傷ついている人には、ちょっと生き難い時代と言えるかもしれません。
そういう時に、ホっと休める場所があって、ありのままの自分を受け入れてくれる人がそこにいる。そんな「居場所」がそれぞれの人にあったらイイな、と思うのです。
虚構と現実はもちろん違いますが、漫画から受け取った示唆が、現実でも良い方に作用していくということはあると思います。
劇中で『るろうに剣心』自体が人と人との「縁」を回復する物語になっていること。
作中の最後の敵の名前が「縁」で、彼は打倒するべき相手というよりも、救済し、回復してあげる対象といった風に描かれていることにも象徴的に現れていると思います。
劇外で『るろうに剣心』をきっかけにして、ちょっと違うジャンルで生きてきた人達が出会ったり、関係を深めたり、そんな「縁」の回復が行われるかもしれないこと。
かつてジャンプで連載を追っていたお父さん・お母さんと、映画で知ったその子供とが『るろうに剣心』を話題にして楽しい時間を過ごしたりすること。
漫画オタクの人と、宝塚ファンの人とに、『るろうに剣心』がきっかけで何らかの「縁」ができたりすること。
これらは、既に現実に起こり始めていることだったりします。
そんな素敵な作品の「続編」が始まったのです。
乗ってみようかな? という気になってきたのではないでしょうか(笑)。
作品自体が静かに様々な立場の人たちの「居場所」として、そこに存在し続けているような、『るろうに剣心』という作品。
あなたが、ちょっと最近時代の流れが速いなと感じていたり、なんか今の自分は心が傷ついているなと感じたりしていたとしたら。
是非ぜひこのタイミングで、原作漫画本編を読み返してみたり、続編の「北海道編」を読み始めてみたりして頂けたら、一『るろうに剣心』好きとしてもとても嬉しいのでした。
相羽裕司(あいばゆうじ)
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