ごきげんよう。マンガフルライターの柚木です。
今回ご紹介するのは『私の百合はお仕事です!』、通称『わたゆり』。
『コミック百合姫』で連載中のラブ・コメディで、好評を受け、現在テレビアニメも放映されている人気作品です。
もしかすると、アニメがきっかけでこのページをのぞいて下さった方もいるかもしれませんね。
- アニメで『わたゆり』を観て、原作が気になっている
- すでに『わたゆり』ファンで、あらためて魅力を共有したい
そんな方々にむけて、この記事では『わたゆり』ファンのライターが、本作の魅力……なぜ『わたゆり』は面白いのか? その理由を力説していきます!
『わたゆり』の魅力を語るにあたって、本記事は一部にキャラクター設定のネタバレ(この子の過去に何があったのか? 的な情報)を含んでいます。あらかじめご了承ください。
目次
1、『私の百合はお仕事です!』ってどんな漫画?
著者 | 未幡 |
---|---|
出版社 | 一迅社 |
掲載雑誌 | コミック百合姫 |
掲載期間 | 2016年~ |
巻数 | 既刊11巻 |
『私の百合はお仕事です!』は、未幡先生が『コミック百合姫』で連載中のラブ・コメディ。
2016年の連載開始以来、読者をグイグイとひっぱるストーリー展開が話題を呼び、日本のみならず海外でも英語版・ドイツ語版・韓国語版・中国語版などが刊行されています。
さらにこの4月からはアニメも放映されている人気作品です。
そんな『わたゆり』、どういった内容かというと、そのものズバリ! なタイトル通り「百合営業」のお話。
物語の舞台は、カフェ「リーベ女学園」。
ここは、店員が架空の学校「リーベ女学園」の生徒に扮して接客をおこなう、いわゆるコンセプト・カフェです。
メイド喫茶とか執事喫茶とか、ああいった感じのお店ですね。
そして、このリーベ女学園の目玉が、お給仕をつとめる女生徒同士の百合っぽい関係。
お給仕の合間に、女生徒たちによる百合フレーバーあふれる即興の「寸劇」が繰りひろげられ、お客は彼女たちの関係性を「壁」として楽しむ……
という趣向のお店なんです。
(『私の百合はお仕事です!』1巻 未幡/一迅社 より引用)
お店のフロアは「舞台」。
そして店員は「役者」。
主人公の陽芽は、偶然の成り行きから、そんなちょっと変わったカフェで働くことになります。
そして陽芽を中心に、少女たちの演技と本音、「お仕事としての百合」と「ガチの恋愛感情」がめまぐるしく錯綜するドラマが繰りひろげられていく。
本作は、そんな彼女たちの学園での日々を、基本コミカルに、ときにはシリアスな展開にも踏みこみながら描くラブ・コメディです。
2、全員に「表と裏」がある!メインキャラクター紹介
さきほど「少女たちの演技と本音」と書いたとおり、本作のキャラクターたちには、みな「表の顔(主人公いわく「ソトヅラ」)」と「素の顔(ウラガワ)」があります。
カフェのフロアで演じる「役柄」と、バックヤードで見せる「素の人柄」。
さらにお店を離れた普段の生活でも、意識的に「ソトヅラ」を演じ続けている子もいる。
そんな風に、演技と本音が錯綜することで生まれるすれ違いやドタバタ、ハラハラなストーリー展開が『わたゆり』の真骨頂です。
この、キャラクター達のもつ二面性を存分に活かしたストーリー作りがとても巧みな本作。
ライターは、はじめてコミックスの1巻を読んだとき「まるでシェイクスピアの喜劇みたいじゃん!」と感激してしまいました。
というわけで、ここからは本作のフックである「キャラクターの二面性」に焦点をあてつつ、リーベ女学園で働く主要メンバー4人をご紹介していきます!
2−1 白木 陽芽(純真無垢な天使?)
本作の主人公、白木 陽芽(しらき ひめ)。
リーベ女学園では「白鷺 陽芽(しらさぎ ひめ)」という名前で働いています。
小柄でスレンダーなスタイルに、色素の薄い肌とふわふわ髪。
黙っていても周囲の視線を惹きつけずにはおかない、お姫様みたいな美少女です。
(『私の百合はお仕事です!』1巻 未幡/一迅社 より引用)
高校のクラスメイトからは、そのルックスと謙虚な人柄から「天使」とまで呼ばれる陽芽。
でも、裏(素)の顔はというと……
(『私の百合はお仕事です!』1巻 未幡/一迅社 より引用)
うーんゲスい!
ここまで振りきれているといっそ清々しいですね。
陽芽にとっては、日常生活がまるごと「演技(ソトヅラ)」を披露するための「舞台」。
お仕事としての「演技」が物語の中心となる『わたゆり』にふさわしい主人公ですよね。
- 表の顔=純真無垢な天使
- 裏の顔=ゲスの極み乙女
これが陽芽のもつ二面性です。
さて、「億万長者と結婚して玉の輿」というでっかい野望を持つ彼女。
当然、アルバイトで堅実に稼ぐ、みたいなことには興味をもっていませんでしたが……
不注意でリーベ女学園の店長にケガを負わせてしまったことをきっかけに、補充要員としてなかば無理やり働かせられるハメになります。
そんな経緯なので、最初は仕事にまったく乗り気じゃなかった彼女。
でもお客さんから「まだ新人さんだから演技が固いかな?」みたいな反応を受けると、プライドを刺激されて、つい全力の演技(ソトヅラ)を披露してしまったりして。
(『私の百合はお仕事です!』1巻 未幡/一迅社 より引用)
なんだかんだで、カフェの仕事に深入りしていくハメになります。
ゲスい素顔を隠しもっている陽芽ですが「演技力へのプライド」という点ではビシッと筋の通った部分を持ちあわせている。
こういうところ、なんだかとても主人公っぽいんですよね。
それに、陽芽ほど極端ではないにせよ誰しも会社や学校、あるいはSNSの中などで、なんらかの「キャラ」を演じている部分はあるのではないでしょうか?
そういう意味では、じつは心を寄せやすい部分をもった主人公だとおもいます。
2−2 矢野 美月(やさしいお姉さま?)
リーベ女学園の店員として陽芽の先輩にあたる矢野 美月(やの みつき)。
フロアでは「綾小路 美月(あやのこうじ みつき)」という名前で働いています。
長身でグラマー。小柄でかわいいタイプの陽芽とは対照的な、美人のお姉さまタイプ。
(『私の百合はお仕事です!』1巻 未幡/一迅社 より引用)
外見のイメージ通り、フロアでの物腰も柔らかな「優しいお姉さま」ですが……
バックヤードではこの通り。
(『私の百合はお仕事です!』1巻 未幡/一迅社 より引用)
自他に厳しく、さらに陽芽への当たりが非常にキツい。いったい何故なのか?
『わたゆり』序盤のストーリーは、このカップリング……美月と、主人公・陽芽の関係を中心に進んでいくことになります。
- 表の顔=優しいお姉さま
- 裏の顔=自他に厳しいストイック女子
これが美月のもつ二面性です。
じつは普段の美月は、知的には聡明であるいっぽうで、周囲の人間関係の「空気を読む」ことが苦手な、とても不器用な女の子。
(『私の百合はお仕事です!』5巻 未幡/一迅社 より引用)
ストレートすぎる態度が裏目に出て、人間関係でいくつもの失敗を重ねてきた過去をもっています。
結果、自らの意思に反して、つい他人を遠ざけるようなクールな態度をとってしまいがち。
そんな美月がフロアで演じる優しいお姉さま=「綾小路 美月」は、彼女の理想が投影されたキャラクター。
「本当はこんなふうに人に優しくありたい」「いまの不器用な自分を変えていきたい」という切実な願いの結晶なんです。
(『私の百合はお仕事です!』5巻 未幡/一迅社 より引用)
こういう事情を知ると、フロアでの美月の「優しいお姉さま」は「演技」であって、バックヤードのツンケンした姿のほうが「素」なのだ、とシンプルに断定するのは難しくなりますよね。
むしろ、フロアでの「綾小路 美月」のほうが、彼女の心の奥底の願いがストレートに反映された「素」に近いのでは?
という見方もできます。
つまり本作は、人間の「演技」と「素」を、きれいに切り分けできるものとして描いてはいないんですね。
人間の外面と内面は複雑に絡みあっているもの。
演技と本音は、そんなに単純には仕分けできません。
むしろ、舞台で役柄を「演じて」いるからこそ、逆に素直に自分の願望や気持ちが表現できることもある。
こうした心の機微の表現に踏みこんでいる点も『わたゆり』の魅力です。
2−3 間宮 果乃子(引っ込み思案な地味子?)
間宮 果乃子(まみや かのこ)は、陽芽の高校のクラスメイト。
リーベ女学園で働くときの名前は「雨宮 果乃子(あまみや かのこ)」です。
果乃子は、陽芽の天使のようなふるまいが「演技(ソトヅラ)」であることを知る唯一の友達。
陽芽にとっては、素の自分をさらけ出せるオアシスのような存在です。
(『私の百合はお仕事です!』3巻 未幡/一迅社 より引用)
そして果乃子も、自分が「陽芽が心を許せる唯一の友達」であることに特別感を抱いています。
特別感というか、まあその、かなり重たい感情です。
(『私の百合はお仕事です!』1巻 未幡/一迅社 より引用)
そんな果乃子自身は、陽芽とは対照的なかなりの引っ込み思案。
学校ではぜんぜん目立たない地味なタイプですが、リーベの制服を纏った姿はというと……!
(『私の百合はお仕事です!』1巻 未幡/一迅社 より引用)
「眼鏡をとったら意外と美人」は、二次元キャラのギャップ表現としては、もはや古典の類いですよね。
ひと昔、いや、ふた昔前ならばいざ知らず、眼鏡がファッションアイテムとして定着した現在では、ほとんど見られなくなった手法。
『わたゆり』は、そんな「眼鏡=陰キャの記号」という古典的なギャップ表現をあえて現代に復活させているのです。
なので読者としては「はは~ん、このギャップがこの子の二面性なのね」と、つい思いそうになるのですが……
じつは果乃子というキャラクターには、もう一段「奥」があります。
(『私の百合はお仕事です!』3巻 未幡/一迅社 より引用)
普段の臆病な印象からは想像できない激昂っぷり。
彼女はすごく激しくて、意固地な部分を隠しもった女の子なんですね。これが果乃子の二面性です。
- 表の顔=臆病で引っ込み思案な地味子
- 裏の顔=何をするかわからない直情的美少女
じつは、果乃子がリーベ女学園で働くことになったきっかけは「陽芽の監視」でした。
陽芽にものすごく強い執着をもつ果乃子。
果乃子は、いまの二人の関係……「自分だけが陽芽の秘密を知る特別な存在」であることを、とても大切に想っています。
そしてそんな二人の関係が、この先もずっと変わらずに続いて欲しいという強い願いをもっている。
だから、あたらしくアルバイトをはじめた陽芽の様子をうかがうために、リーベに足を踏み入れたんですね。
現状を大切に想うあまり、変化を極端に嫌う。
これが果乃子のパーソナリティです。
そして変化を防ぐためならば、ギョッとするような行動に出ることもある。
「眼鏡をとったら意外と美人」という記号的な萌えキャラかとおもいきや、作中でいちばん人間の生っぽく淀んだ部分を見せてくれるとても魅力的なキャラクターです。
2−4 知花 純加(イケメンお姉さま?)
知花 純加(ちばな すみか)。リーベ女学園での名前は橘 純加(たちばな すみか)。
陽芽・美月・果乃子の先輩にあたる、リーベ女学園の最初期メンバーです。
メガネをかけて読書にふける姿も絵になる「知的なお姉さま」で、隙あらば下級生にちょっかいをかけるキザな女たらしの一面もあります。
(『私の百合はお仕事です!』1巻 未幡/一迅社 より引用)
そんな感じで、フロアではイケメンお嬢様枠の純加。
バックヤードでの姿は? いうと、こちら。
(『私の百合はお仕事です!』3巻 未幡/一迅社 より引用)
ギャルです。
リーベ女学園のメンバー中、見た目の「裏表」のギャップが一番派手なキャラクターですね。
ただ、その分(?)内面のギャップは他の子たちほど激しくはない印象。
気さくで優しくて、てきぱきと仕事をこなす頼れる先輩です。
- 表の顔=インテリ系女たらしお姉さま
- 裏の顔=気さくで頼れるギャル先輩
そんな二面性をもつ純加。
彼女は仕事ができることにプラスして、カフェ全体の人間関係にも心を配れる優秀な店員なのですが……
でも時にそれが行きすぎて、周囲から疎まれることも。
(『私の百合はお仕事です!』4巻 未幡/一迅社 より引用)
リーベ女学園のオープニングメンバーである純加は、この場所をとても大切に想っています。
カフェの良い雰囲気をキープしたい。スタッフの仲は良好であってほしい。
その想いが強すぎて、人間関係のトラブルに必要以上に首を突っ込んでしまうんですね。
そしてスタッフ同士の恋愛にも否定的。
なぜなら、過去に恋愛のもつれに起因する人間関係の破綻を食いとめられなかった……という苦い経験があるからです。
(『私の百合はお仕事です!』3巻 未幡/一迅社 より引用)
恋は人や人間関係を変えるもの。
人間関係が変われば、カフェの雰囲気も変わってしまう。
だからカフェに恋愛感情の持ち込みはご法度! というのが純加の考え方です。
変化を厭い「現状を変えたくない」という強い気持ちを持っている。
この意味では、間宮 果乃子との共通点を持つキャラクターなんです。
なのでストーリーが進むにつれ、必然的に純加と果乃子は強い関わりをもつようになっていきます。
純加と果乃子。このカップリングの関係も本作の大きな見どころです。
3、3つのポイントから『わたゆり』の面白さに迫る!
メインキャラクターたちのご紹介が済んだところで、ここからは、ライターの考える『わたゆり』はここが強い! ポイント3つを挙げながら、本作の魅力・面白さの理由に迫っていきます。
3−1 百合の伝統?心の機微を描くための「演劇的舞台設定」
ここまで書いてきたとおり、『わたゆり』のストーリーは、コンセプト・カフェ「リーベ女学園」を中心に展開します。
お店のスタッフたちは、学園の生徒としての役名を与えられ、お客の前でそれぞれの役柄を演じることになる。
いうなればリーベ女学園のフロアは「ステージ」で、スタッフたちは「役者」。
つまり本作は「演劇もの」ジャンルの亜種である、という見方をすることができるんですね。
ところで、百合の名作には、しばしば演劇のシーンが登場することをご存じでしょうか?
- 『桜の園』(吉田秋生)
- 『マリア様がみてる』(今野緒雪)
- 『青い花』(志村貴子)
- 『やがて君になる』(仲谷鳰)
なんと神々しいラインナップ……! いずれも現代百合界におけるレジェンド級の名作です。
(※なかには「自分は ”百合” のつもりで作品を作ってはいない」という作者の方もおられるかもしれません。ライターは「百合」を、女性同士の友情・恋愛・バディ・言語化不能の曖昧な関係までをも含むとても広義な言葉として捉えているため、ご容赦ください。)
これらの作中ではいずれも、キャラクターたちが演劇を演じるシーンが登場します。
いわゆる「劇中劇」ですね。
物語のキャラクターたちが、そのなかでさらに別のキャラクターを演じる。
そしてその演技の経験が、演じているキャラクターの心理や行動に影響を及ぼす、というメタ構造です。
これは、シェイクスピアなどの作品にも使われている古典的な作劇手法。
その古典っぽさが、学園もの百合作品のもつ、どこかクラシカルな雰囲気とぴったりマッチしてたまらないのです……!
『わたゆり』は、百合の名作に共通するこのような「劇中劇」の構造を「コンセプト・カフェ」という現代的な形で取りいれているんですね。
先行作品へのリスペクトを感じさせるポイントです。
さらにコミックス9巻では、もっと直接的な演劇シーンも登場します。
お店のイベントの一環として、スタッフたちがお客の前で「朗読劇」を演じる、というシチュエーション。
日頃から「リーベ女学園の生徒」という役柄を演じているスタッフたちが、その役柄をベースに、さらに別の役柄を演じるという入れ子構造です。
(『私の百合はお仕事です!』9巻 未幡/一迅社 より引用)
そして、この舞台の準備をめぐっても、劇の内容と役柄を演じるキャラクターたちの心情が交差していきます。
これぞ百合作品の醍醐味……!!
キャラクターたちの心の機微を描くにあたって、コンセプト・カフェという「演劇的舞台設定」をフルに活かしきってくる『わたゆり』。強いです。
3−2 変わりたい/変わりたくない…「青春ドラマの王道テーマ」
『わたゆり』は、コンセプト・カフェのなかでも少々毛色の変わったお店「リーベ女学園」を舞台に、十代の少女たちの関係性を描く物語です。
なので「自分とは縁遠い世界のお話だなあ」という印象をもたれる方もいるかもしれません。
たしかに、多くの人に馴染みのある「学校」を舞台にした青春ドラマとくらべると、『わたゆり』は、やや特殊な舞台で特殊なドラマを展開しているようにも見えます。
でも、自分とは関係のない世界のお話だから「壁」として楽しむ感じの作品かな? と判断するのはちょっと早い!
なぜかというと『わたゆり』が物語の中心に据えているのは、多くの人が共感可能な、青春ドラマにおける王道テーマ……
「変わりたい/変わりたくない」という「変化」にまつわる葛藤の物語だからです。
(『私の百合はお仕事です!』4巻 未幡/一迅社 より引用)
青春ドラマが扱う十代の中盤から後半って、すごく中途半端な時期ですよね。
子供時代が終わりに近づき、身体がどんどん変化してきて、でもまだ大人として社会には出ていない。
「大人になりたい=変わりたい」という気持ちと「子供のままでいたい=変わりたくない」という気持ち。
両者の狭間で揺れ動いた経験は、誰でも多かれ少なかれ覚えがあるのではないでしょうか。
(もちろん、今まさにその真っ只中! という方もいるでしょう。)
『わたゆり』の物語を動かしているのは、多くの人に馴染みのある、この二つの感情の葛藤。
「変わりたい」気持ちと「変わりたくない」気持ちとのあいだで繰りひろげられるシーソーゲームなんです。
さきほどのキャラクター紹介でもちょっと触れたとおり、『わたゆり』の登場人物は、おおまかには「変わりたい」派と「変わりたくない」派に分けることができます。
- 変わりたい:美月
- 変わりたくない:果乃子・純加
- (?:陽芽)
美月は、いまの不器用な自分から、優しさを素直に出せる自分へと「変わりたい」気持ちを強くもっている。
いっぽう、果乃子は陽芽との関係を、純加はリーベの人間関係を「変えたくない」。
この二種類の感情がひっぱりあったり、反発しあったりすることで『わたゆり』の物語は動いているんですね。
(『私の百合はお仕事です!』4巻 未幡/一迅社 より引用)
本作に限らず、多くの青春ドラマでは恋愛が描かれます。
それは、思春期における恋愛が一大イベントであり、シンプルに人気がある題材だからですが、もうひとつ。
恋愛が、人を変える強力な契機となり得るイベントだからではないかな? と思います。
(純加はまさにこの「人を変える」という理由で恋愛を嫌っています。)
つまり ”恋愛” という「題材」を通じて “変化をめぐる葛藤” という「テーマ」を描くことができるんですね。
そして、この ”変化をめぐる葛藤” というテーマは、学生に限らずもっと幅広い世代にもリーチすることが可能な、普遍性をそなえたテーマ。
「保守と革新の対比」みたいな政治的・社会的テーマにも接続することが可能です。
(じっさい、軽い「ラブ・コメディ」を装いつつ、そうしたテーマを扱った作品もあります。政治的・社会的テーマを扱っているから普通のラブ・ストーリーより「エラい」わけではないですが。)
やや毛色の変わったお店を舞台に、十代の少女たちをメインにした物語が描かれる……つまり、一見狭い世界の話にも見える『わたゆり』。
でも、じつは幅広い層の人たちにとって切実なテーマを扱っているからこそ、人気作品になったのではないかな? とおもいます。
というか、それこそが作品が人気を得るための必要条件ですよね。
「変わりたい」気持ちと「変わりたくない」気持ち。
主人公・陽芽もまた、今後のストーリー展開において、相反するふたつの気持ちのあいだで板挟みになるキャラクターだと予想されます。
もちろん「変化」が常に正しいとは限りません。ときには変わらない方が良い物事もあるでしょう。
さまざまな可能性があるなかで、陽芽がどう変わり、どう変わらないのか。
ファンとして気になるところです。
3−3 じつは熱い女・陽芽の「正統派主人公力」
最後はシンプルに、主人公・陽芽の魅力について。
キャラ紹介のコーナーでは、陽芽の表面的なゲスさだけを強調してしまったきらいがありました。
もちろん、可憐なルックスとゲスい素顔との二面性、したたかさは、いちばんキャッチーな彼女の魅力。
でも陽芽、ストーリーを読み進めるほどに「あれ? この子ってすごく良い子なのでは……?」という面をだしてくる正統派の魅力をそなえた主人公なんです。
(『私の百合はお仕事です!』1巻 未幡/一迅社 より引用)
彼女の最大の魅力は、友達想いな優しさ。
序盤でも「果乃子がカフェで働きはじめたのだから、自分は辞めて良いのでは?」と考えかけて、すぐにその考えを打ち消すシーンがありました。
(『私の百合はお仕事です!』1巻 未幡/一迅社 より引用)
本当にゲスい人間なら、こんなこと気にしないですよね。
さらにグッとくるのが、陽芽が涙をみせるシーン。
陽芽が涙をみせるのって、自分よりも、友達の身に悪いことや良いことがあった場面のほうが多いんです。
(『私の百合はお仕事です!』2巻 未幡/一迅社 より引用)
(『私の百合はお仕事です!』4巻 未幡/一迅社 より引用)
少年マンガの主人公かよ……! というぐらい、熱くてまっすぐなところをもった子なんですね。
そして、そんなまっすぐさを持った陽芽が、なぜ「ソトヅラ」で周囲を魅了することにあれほど執着するのか? についても、きちんと描写があります。
(『私の百合はお仕事です!』1巻 未幡/一迅社 より引用)
これは陽芽にかぎらず、『わたゆり』って
「なぜそのキャラクターが、そのような行動パターンをとるのか」
についてを、きちんとエピソードの形で読者に提示してくれるんですよね。
「この子はこういうキャラ」という「記号」で済まさない。みんながそれぞれのバックグラウンドを背負っていて、そこにちゃんと言及がある。
だから、キャラクターが活き活きと作品世界のなかに立ちあがってくるし、つい彼女たちを好きになって応援したくなります。
エンタメ系の物語作品で大切な、こういう描写をきっちりおさえてくる点も『わたゆり』の魅力です。
(『私の百合はお仕事です!』3巻 未幡/一迅社 より引用)
4、まとめ
今回の記事では
- 舞台設定の紹介
- 主要キャラクターの紹介
- 3つの「強さ」
を通じて『わたゆり』の魅力を語ってみました。
私が『わたゆり』に関していちばん魅力的だと思っているのは、なんといってもストーリー展開の巧みさ。
「舞台設定のユニークさ」と「キャラクター設定・配置の緻密さ」がガッチリと噛みあって、ストーリーを強力にドライブしていくところがすごいなあ……と思いながら本作を楽しんでいます。
この記事を通じて、私が感じているそんな魅力が少しでも伝われば幸いです。
ストーリー展開といえば、コミックスのあとがきを読むと、未幡先生がストーリー作りにとても苦労している様子が描かれていることがあります。
それも「アイデアが浮かばない!」ではなくて、「やりたいアイデアが多すぎてストーリーに収まらない!」という苦労の仕方。
(『私の百合はお仕事です!』2巻 未幡/一迅社 より引用)
未幡先生の頭の中が、さまざまなストーリー上のアイデアではち切れそうになっている感じが伝わってきますよね。
まだまだネタ切れになる気配は皆無、この先も楽しませてくれそうな『わたゆり』。
すこしでも気になった方は、ぜひぜひコミックスを手にとってみてください!
柚木 央
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「マンガフル」では他にも様々な記事を執筆させて頂いております。
ピンとくるものがありましたら、タイミングが合った時に読んで頂けたら喜びます~。↓
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