こんにちは。マンガフルライターの柚木です。
今回ご紹介するのは『見える子ちゃん』という漫画。
いきなりタイトルだけを聞くと「?」という感じですよね。
でも、この記事を読んでいる人のなかには、もしかしたら「絵柄ぐらいはSNSで見たことあるよ」という人もいるかもしれません。
じつは私自身、ツイッターで『見える子ちゃん』の画像を見かけて気になったのであれこれ検索→結果、見事にハマってしまった一人です。
本作は、気軽に楽しめるホラーコメディ。
でも、読み進めていくうちに「あれ、けっこう奥が深い?」という感じでずるずると魅力に取り込まれていく、とても侵蝕力が高い漫画でもあるのです。
そこで、この記事では
- タイトルだけだと内容の想像がつかないけど、どんな漫画?
- ネットで画像を見かけて気になったけど、面白いの?
みたいな疑問をもっている人にむけて、『見える子ちゃん』のあらすじと主要キャラクター、そして、ちょっとだけ突っ込んだ視点からの見所をお伝えしていきます!
目次
1、『見える子ちゃん』ってどんな漫画?
著者 | 泉 朝樹 |
---|---|
出版社 | KADOKAWA |
掲載雑誌 | ComicWalker |
巻数 | 既刊5巻(2021年3月時点) |
『見える子ちゃん』という漫画、もともとは作者の泉 朝樹先生が2018年にツイッターに投稿した、たった4ページの短編作品でした。
久しぶりにホラー?漫画描いたよ。怖いようで怖くない、いや怖いかも知れないあるあるJK漫画だよ! 【見える子ちゃん】 pic.twitter.com/idnIztSIBq
— 泉 朝樹 tomoki izumi (@izumi000) September 6, 2018
このツイートがたちまちバズって5万RT、15万以上のいいねを獲得した結果、出版各社からオファーが舞いこみ、「ComicWalker」(KADOKAWA)での連載が決定。
2021年3月時点で単行本は既刊5巻、先日にはアニメ化も発表され、大きな話題をあつめています。
【お知らせ】
㊗️見える子ちゃんTVアニメ化決定㊗️ pic.twitter.com/PHKNqjQDS6— 泉 朝樹 tomoki izumi (@izumi000) March 18, 2021
それだけ本作は、人の関心を一発でひきつける強力な「掴み」を持っているのですが、
「それで『見える子ちゃん』って結局どんな漫画なの?」
という質問には、このイラスト1枚で答えることができます。
(『見える子ちゃん』1巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
学校の休み時間、ランチを食べる女の子ふたり。
手前の子はなにも気付いていない様子だけど、もうひとりの子は画面奥のバケモノに気付いており、なおかつそれを必死に無視している。
そして『見える子ちゃん』という秀逸なタイトル。
な、なんてわかりやすい!
そう、本作は「霊が見えてしまう女の子が、それをシカトすることでピンチを回避する漫画」なのです。以上!
と、終わってしまうわけにもいかないので続けますが、こんな風にイラスト1枚で作品の基本設定を表現できてしまうフックの強さ。これが『見える子ちゃん』の強みです。
こう書くと、なんだかアイデア1発、瞬発力勝負の漫画なんじゃない? という誤解を受けてしまいそうでもあるのですが……
でも、けっしてそれだけの作品ではないことは、2021年現在まで連載が続き、単行本が刷を重ねている事実が証明しています。
記事の後半では、そんな1発ネタでは終わらない『見える子ちゃん』の魅力にも迫っていきたいと思いますが、まずは簡単なあらすじから見ていきましょう。
2、『見える子ちゃん』のあらすじ
主人公は、いつからか身の回りをさまよう「ヤバいやつ(幽霊や化物)」が見えるようになってしまった女子高生、みこ。
「見えてしまう」という以外に何の特殊能力も持たない彼女は、日常生活のなかで突如視界に入ってくるヤバいやつらを、全力でシカトするしかありません。
(『見える子ちゃん』1巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
どんなにおぞましいモノが視界に入っても、反応してはいけない。
その姿が見えているということを、絶対に相手に悟られてはいけない。
もし、悟られてしまうと……
(『見える子ちゃん』3巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
毎回危ういところでピンチを逃れているみこですが、もしヤツらに捕まったらどうなってしまうのか? あまり考えたくありません。
ダウンタウンの「笑ってはいけないシリーズ」の番外編で、「絶対に怖がってはいけない〇〇」というのがありますよね。
みこにとっては、毎日の生活がまるごとぜんぶ、あの年末特番みたいなものなんです。
しかも、ペナルティはケツしばきやタイキックぐらいでは済みそうにない。
ところが、みこの親友が無自覚な「引き寄せ体質」なものだから、次から次へと霊がよってきたり……
はたまた、第二の霊感少女が登場して、みこを勝手にライバル視。なにかとちょっかいをかけてきたりと、彼女の毎日は波瀾万丈。
『見える子ちゃん』は、そんなみこの日常を基本コミカルに、ときにシリアスに描くホラーコメディです。
3、見える・見えない・見えすぎる!色々な人達が一緒に暮らす『見える子ちゃん』の世界
ここからは、本作に登場するキャラクターたちの、ほんの一部をご紹介していきます!
3−1 「四谷みこ」見えすぎ霊視体質のせいで超ハードモードな高校生活を送る主人公
本作の主人公、四谷みこ(よつや・みこ)。
まっすぐな黒髪ロングと下まつげが特徴的な、パッと見クールっぽい女の子です。
(『見える子ちゃん』1巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
それだけに、ヤツらに遭遇したとき必死で恐怖を堪える表情には、なんていうか、その、グッとくるものがありますね……。
(『見える子ちゃん』3巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
そっち方面のフェチの方々には堪らないんじゃないでしょうか。
そんなクール系ビジュアルのみこですが、じつはとても友達想いの女の子。
霊視にまつわる悩みを親友に相談しないのも、それ系の話が大の苦手である相手を思いやってのことなんです。
大切な相手にも、いや、大切な相手だからこそ打ち明けられない悩みや秘密をもった経験、多くの人に覚えがあるのではないでしょうか。
みこもまた、そんなありふれた問題を抱えた普通の女の子(悩みの種類はかなり特殊ですが)。
周囲を気遣う優しさゆえにひとりでトラブルを抱えこんでしまっている、とても好感のもてる主人公です。
3−2 「百合川ハナ」恵まれすぎた生命オーラで無自覚に霊を引きつける、みこの親友
みこの同級生で親友の、百合川ハナ(ゆりかわ・はな)。
周囲をあかるく照らすお気楽パッションな性格が、「ヤツら」のことでなにかと悩みがちなみこを元気づけます。
(『見える子ちゃん』1巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
そんなハナの特徴は、常軌を逸したすさまじい食欲。なにしろ、朝食後の「朝後ごはん」はあたりまえレベルです。
(『見える子ちゃん』3巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
じつはハナは、ものすごい「引き寄せ体質」。
彼女の食べた物のエネルギーは、たちまち生命オーラとして発散されて、近くにいる「ヤバいやつ」を引き寄せてしまいます。
だから、知らず知らずのうちにこんな事態にも。
(『見える子ちゃん』2巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
つまり、引き寄せてしまうハナと、見えてしまうみこは最悪の組み合わせという見方もできるわけです。
でも、みこにとってハナは大切な友達。
ハナが霊関係のトラブルに巻き込まれそうになったら、みこも霊をシカトしてばかりではいられなくなる。
というわけで、ハナは本作のストーリーが展開していくうえで、とても大切な役割を担っているキャラクターです。
3−3 「二暮堂ユリア」みこに(勝手に)対抗心を燃やす第二の“見える子ちゃん”
キュートなツインテがトレードマークの、二暮堂ユリア(にぐれどう・ゆりあ)。
みこやハナと同じ学校に通う女子高生であり、やはり霊視能力の持ち主です。
(『見える子ちゃん』2巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
自身の能力に(やや中二病気味の)プライドを持つ彼女は、みこを霊能力者として勝手にライバル認定。
なにかとちょっかいをかけてきては、みこを戸惑わせます。
ところが、ふたりに見えるものは微妙に異なっているんですね。
ユリアに見えるのは、下級霊(?)のみ。みこに見えている、本当に「ヤバいやつ」は見えていない。
(『見える子ちゃん』2巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
一方で、みこには見えない「人間の生命オーラ」を見ることができたりと、ふたりの霊視能力は少しタイプが違っている模様です。
じつはユリア、自分が「見える」ことを公言したことが災いして、学校ではハブられがちな女の子。
(『見える子ちゃん』3巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
そんなユリアが、みことハナにちょっかいをかけているうちに、しだいに自分の居場所を見つけていく過程にはけっこうジーンとくるものがあります。
ストーリーが進むにつれて、どんどん愛おしさがつのっていく女の子です。
3−4 「ゴッドマザー」霊視パワーが衰えた落ち目の占い師にして、みこの理解者
本名:タケダミツエさん。
全盛期は「下町のゴッドマザー」の異名をとった凄腕の占い師でしたが、現在は落ち目ですっかりやさぐれ気味です。
(『見える子ちゃん』1巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
初登場時の印象はかなり最悪なミツエさん。
でも、みこが本当に霊障に悩んでいると知るや、すぐさま親身になって助けてくれようとするカッコいいおばあちゃんです。
(『見える子ちゃん』1巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
秒で玉砕したけど。
(『見える子ちゃん』1巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
能力の傾向はユリアと近く、本当に「ヤバいやつ」についてはうっすらと気配を感じることができる程度ないっぽうで、人間の生命オーラは見ることができる模様。
(『見える子ちゃん』1巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
衰えたとはいえ、その道のプロフェッショナル。
いまのところ、みこが唯一、霊がらみの悩みを打ち明けることのできる貴重な理解者です。
同世代の友人みたいに近しくはない、むしろすこし距離のある相手だからこそ、逆に打ち明けられる悩みもある。
そんなみことミツエさんの関係性、けっこうリアルな感じがしますね。
4、人によって見えるものが違う?『見える子ちゃん』における世界認識のグラデーション
このような個性的なキャラクターたちが、ホラーでコミカルな日常を繰り広げる『見える子ちゃん』。
気負わずストレートに楽しめる漫画なのですが、でもちょっとだけ視点をずらしてみると、本作は
「世界認識の多様性を肯定する」
という、わりとシリアスなテーマが表現された作品でもあることが見えてきます。
と、なんか堅苦しい表現をしましたが、ひらたく言えば
「人それぞれ見えてる世界が違ってもいいじゃん! ズレててもいいじゃん! そもそも人間ってそういうものじゃん!」
というテーマを扱った漫画なんですね。
このテーマが、どんなふうに作品に組み込まれているのか? ここからは、その点を具体的にみていきます。
まず、さきほどご紹介したメイン・キャラクターの4人。
彼女たちには、それぞれ異なった世界が見えているということに気づかれたでしょうか。
- ハナ→霊的なものは何も見えない
- ユリア&ミツエ→下級霊や人間の生命オーラが見える
- みこ→強パワーの霊まで見える一方、生命オーラは見えない
厳密にいえば、ユリアとミツエも見えているもの(見えているレベル?)はやや違う。
なので、この人達は同じ空間にいても、みんな違う世界を見ていることになりますね。
4人が並んで同じ風景を眺めていても、実際にひとりひとりの目に映っているものは少しずつ違うかもしれない。
でも、それは良くないことなのでしょうか?
たとえば、ヤバいやつらが一番見えているみこが「世界の真実の姿」を直視している存在で、霊的なものが見えないハナの見ている世界、彼女の過ごしている日常は上っ面だけの、偽りのものなのか?
……というと、そんなことはないだろうと。
霊が見えないハナにはハナなりの「リアリティ」があり、彼女なりにかけがえのない日常を過ごしているはずです。
(『見える子ちゃん』2巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
世界の見え方、感じ方は人それぞれ違うもの。それがぴったりと一致することはない。
『見える子ちゃん』は、このような認識を漫画らしくデフォルメ(誇張)した形で描いているんですね。
そして本作では、見えている世界が違うもの同士が、世界の見え方のズレはそのままに一緒に楽しく過ごしたり、あるいは補いあってピンチを乗り越えたり……というシーンが描かれていきます。
4−1 一緒に入ったおばけ屋敷、でも叫ぶ理由はじつはバラバラ
たとえば、みこ・ハナ・ユリアの3人でおばけ屋敷に入ってみた、というエピソード。
ホラーが苦手なハナは次々と出没するおばけに絶叫しますが、みこはけっこう冷静。
(『見える子ちゃん』3巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
そりゃそうです。彼女はマジモンのバケモノの恐怖をひたすらスルーする日常で培った、強靭な胆力の持ち主。人間スタッフの扮したおばけなど屁でもありません。
だけど、みこははたと気付きます。何に?
「いま、ここでなら怖がっても良い」ということに。
日頃はどんなにヤバいものを目にしても飲み込まなくてはいけない悲鳴を、いま、ここでだけは思いきりあげちゃってもOK!
(『見える子ちゃん』3巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
この場面、なにも知らない人がみたら、JKたちがおばけ屋敷でいっしょにキャーキャー悲鳴をあげているだけ。
でも、じつは悲鳴をあげている動機がまったく違うんですね。恐怖の悲鳴と、歓喜の悲鳴。
それぞれに感じていることはバラバラで、でも全体的にみれば、みんな一緒におばけ屋敷を目一杯エンジョイ! という秀逸なエピソードです。
この話を読んで「いや、じつは感じていることが食い違っているんだから、これは悲しい話なのだ」という人はあまりいないのではないでしょうか。
4−2 見える子ちゃんたちの憂鬱を、見えないハナがひっくり返す
つづいては、みこ・ハナ・ユリアの3人で、有名なおばけスポットを探索、というエピソード。
帰り道のバスの中、霊がらみのトラブルで道中振り回されっぱなしだったみことユリアは、そろって沈んだ表情をしています。
でも、ここでふたりが抱えている悩みはそれぞれ異なります。みことユリアでは見える霊のレベルが違うので、悩みの内容も違ってくるんですね。
(『見える子ちゃん』2巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
するとすかざす、沈んだふたりをハナが元気づけます。
(『見える子ちゃん』2巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
ハナのこの行動で、3人の考えている内容のズレが修正されたわけではありません。3人のあいだに横たわる「世界の見え方」の溝が埋まったわけじゃない。
でも、みんな楽しい気持ちになってくる。
霊が見えないハナだけが見ることのできる世界、「見えない」彼女が感じているリアリティが、「見える」ふたりを元気づける、というシーンです。
なお、ユリアはこの画像を待ち受けにした模様。
(『見える子ちゃん』2巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
4−3 見える世界が違うからこそ、カバーしあってピンチを脱出!
最後は、「見える世界が違うもの同士が協力してピンチを乗り越える」というエピソードです。
ある日、風邪をひいて学校を休んだハナ。
見舞いにハナの家を訪ねたみこは、いかにもヤバそうなバケモノが彼女を狙っている現場に出くわします。
(『見える子ちゃん』第31話 泉 朝樹/ComicWalker掲載分 より引用)
でも、一緒にいるユリアには、そのバケモノは見えていません。かわりに彼女に見えているのは、ハナの放つ生命オーラ。
「人それぞれ目にしている世界は違う」という本作の世界観が、端的に表現されたシーンです。
(『見える子ちゃん』第31話 泉 朝樹/ComicWalker掲載分 より引用)
みこは、自分には見えない生命オーラを見ることができるユリアのサポートを得て、どうにかこのピンチを切り抜けます。
バトル系の作品では「能力が違うもの同士が補いあって共通の敵と闘う」という定番の展開がありますよね。
でも、みことユリアは「敵の存在に気付いているかどうか」という根本的なレベルで、世界の見え方そのものにズレがある。
ここが『見える子ちゃん』のユニークなところだと思います。
5、見える世界は違っても一緒にいると嬉しい!『見える子ちゃん』は人と人との距離を肯定する漫画
このように『見える子ちゃん』は、世界の見え方のズレの肯定的な側面を描いている作品なのです。
私たちが過ごす現実に目をむけてみても、「見えているもの」って人によってけっこう違いますよね。
たとえば、色について「認識できる色の数は男女で違う」とか、「厳密には人は皆違う色を見ている」みたいな話を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
もうちょっと抽象的なレベルの話だと、「映画を観にいったら、自分と友達で注目したポイントがぜんぜん違った」なんていうこともよくあります。
たとえば『トイ・ストーリー3』を観て、アンディと持ち主の少年の関係にボロ泣きしていたら、友達は延々とゴミ回収人の重要性について語っていたり。
でも、そんなふうに見えるものがズレている人と話すことで、作品への理解がより立体的になったりする。
これは『見える子ちゃん』でいえば、さきほど引用した場面に近いですよね。
みこの視野とユリアの視野が合わさることで、自分たちの置かれた状況がより立体的に把握できる。
(『見える子ちゃん』第31話 泉 朝樹/ComicWalker掲載分 より引用)
この場面に関しては、みことユリア、どちらの見ている世界がより「真実」とか「本質」に近い、みたいな序列はありません。
状況を把握し、ピンチを切り抜けるためには両方の視野が必要でした。
ちなみに学問の世界では、視野が違う人との対話の効用みたいなことは、ずいぶん昔から認識されていたみたいです。
18世紀のイングランドに「月光協会(ルナー・ソサエティ)」という、知識人たちの交流団体がありました。
この会には、医師や地質学者、哲学者、経営者など、多種多様な分野の専門家たちが在籍していたそうです。
(蒸気機関を発明したジェームズ・ワットもメンバーのひとり。)
まさに「見える世界が違う」人たちがあつまって情報を交換しあっていたわけですね。そこから、様々な発明や発見が生まれていった。
みことユリアの関係も「プチ月光協会」みたい、というのはちょっと大げさかもしれないですが。
でも、人と人とのあいだにどうしたってある視野の違い、距離を無理に詰めようとせずに、ズレはズレとして認めながら関係の深まりを描く『見える子ちゃん』の友情の描き方、とても素敵だなあと思います。
(『見える子ちゃん』第31話 泉 朝樹/ComicWalker掲載分 より引用)
6、まとめ
この記事では、まず『見える子ちゃん』の基本設定がすごくシンプルでインパクト満点であることに触れたのち、メインキャラクターたちを紹介しました。
そのうえで、本作では
- 彼女たちに見えている世界が少しずつ違うこと
- 世界の見え方の違いがプラスに働く局面があること
が描かれているよ、という「私なりの見え方」を軸にして『見える子ちゃん』の魅力をお話ししてみました。
ところで、私は『アイドルマスター』のプロデューサーなのですが(唐突な自己紹介)、アイマスに『O-Ku-Ri-Mo-No Sunday!』という名曲があります。
Miroirという双子のユニットが歌う曲なんですけど、見た目はそっくり、でも性格がまったく違うこのふたりは、歌詞のなかで延々とすれ違い続けていくんですね。
ふたりの世界の見え方が一致することは、ない。でも、一緒にいると嬉しい。
Tig-Tig-Tig ツカズ/ハナレズで
Hug-Hug-Hug チカク/テ/トオイ
キミがそばにいる今日は
Tig-Hug-オクリモノSunday
(作詩・作曲:烏屋茶房、作曲・編曲:篠崎あやと/『O-Ku-Ri-Mo-No Sunday! (M@STER VERSION)』コロムビア・ミュージック より引用)
まさに『見える子ちゃん』的な歌詞で、近年の漫画・アニメ・ゲームでは、こういった関係性を打ちだす作品が増えてきたなあ、という印象をもっています。
あらゆる場面で「分断」が露わになっているいまの世の中。
だからこそ、世界の見え方や感じ方のズレはそのままに共にあるような関係性が、ひとつのロールモデルとして描かれているのかもしれません。
もちろんそれは「相互理解をあきらめる」という話とは違います。
げんに、みことは世界の見え方が違うミツエさんが、それでもみこの気持ちに寄り添う場面も描かれている。
(『見える子ちゃん』4巻 泉 朝樹/KADOKAWA より引用)
この先、ハナやユリアが、みこの世界の見え方に何らかの形で寄り添う、みたいな展開が描かれる可能性もゼロではありません。
あるいは、世界の見え方のズレのネガティヴな側面が描かれることもあるかもしれない。
でもだからといって、いま現在、チグハグなままに一緒に楽しく過ごしている3人の時間が否定されるわけではないですよね。
(『見える子ちゃん』第30話 泉 朝樹/ComicWalker掲載分 より引用)
入り口の「掴み」の強さにひかれて笑いながら読んでいると、意外なストーリーの広がりやテーマの奥行きにいつの間にかどっぷりハマり、いろいろ考えさせられてしまう。
でもやっぱり、気軽に面白かったりジーンとできたりもする。
そんなふうに、カジュアルな楽しさとディープな魅力を兼ね備えた漫画『見える子ちゃん』。
気になった人は、ぜひコミックスを手にとってみてください!
柚木 央(ゆぎ ひさし)
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