初めまして。語り部の相羽裕司です。
昨年2016年に映画化もされて話題になった『聲の形(こえのかたち)』、原作漫画の方も気になってる方も多いんじゃないでしょうか。
何かと世の中が厳しい昨今です。
あなたは絶好調で日々を豊かに、楽しく、充実して生きていますか?
なんて聞かれたら、自信を持って「YES」と答えられる人の方が少ないかもしれません。
そんな、どこかに生き難さを抱えながらも、この厳しい社会の日常を地道に生きている。
そんな人にこそ漫画『聲の形』は読んでほしい。
本日はこの漫画『聲の形』の魅力について、イキイキと、丁寧に、そして楽しく語っていってみましょう。
目次
1.時代に求められてドラマティックに登場した漫画『聲の形』
ともすると、孤独になりがちな時代です。
ますます、人と人とのコミュニケーションって大事だよねといったことが世間的にも語られております。
そんな中、「聴覚障害」があるゆえに、ある意味人とのコミュニケーションがそのままだと難しい少女、西宮硝子(にしみやしょうこ)をメインヒロインとした漫画『聲の形』は世に送り出され、2014年度「コミックナタリー大賞」第1位・「このマンガがすごい!2015」オトコ編第1位などをはじめ様々な漫画賞で大きく評価され、各種ヒットチャートをも賑わせました。
こういう話から始めると、「聴覚障害」のヒロインの話か、え、この漫画、ハード路線の重い作品なのかな? 最近、心に余裕もないしあんまり精神力が消耗するような作品は読めないかもな……と思ったりしてしまうかもしれませんが、そんなあなたにこそ。
いやいや、むしろハードに凝り固まっていたものを、ソフトへと柔らかく解きほぐしていくような作品なんですよという話を今日は語らせて頂きます。
1-1.『聲の形』とは?
大今良時(おおいまよしとき)先生が描く、主人公の少年石田将也(いしだしょうや)と聴覚障害の少女西宮硝子との交流を描いた作品で、『別冊少年マガジン』2011年2月号に読み切り版が、そのリメイク版が『週刊少年マガジン』2013年第12号に掲載されたというのが最初の作品です。特に2013年のリメイク版掲載時にTwitterなどで話題になったので、盛り上がっていたのが記憶にあるという方も多いかもしれません。
その後『週刊少年マガジン』で連載化され、2013年から2014年まで連載。全七巻のコミックスの累計発行部数は2016年9月時点で300万部。まあ、大ヒット漫画と言ってよいでしょう。
1-2.2016年公開の映画版でさらに大ヒット
2016年9月には高クオリティのアニメーション作品を作り続けていることでアニメファンの間では有名なアニメーション制作会社「京都アニメーション」制作の映画版が公開されて、こちらがきっかけでさらに話題になった感じです。
主題歌をaikoさんが歌っていることから、漫画・アニメファン向けのみならず、客層をさらに広げていこうという姿勢も伺えた映画版でありました。主題歌の「恋をしたのは」だけを聴いたことがあるという人も多いかもしれません。
実際、映画『聲の形』は大ヒット。興行収入は2016年時点で22億円超え、動員数は160万人超えです。
2016年公開のアニメーション映画だと『君の名は。』と『この世界の片隅に』の名前がまず上がるかもしれませんが、映画『聲の形』も興行面だけみても十分凄かったりします。
そんな『聲の形』についてこれから語っていきますが。
以下、「2」からはある程度物語本編のネタバレも含みますので、気にされる方は気を付けて頂けたらと思います。
2.本当の気持ちが「伝わらない」ヒロインだとしても生きていくこと
とかく我々は、私は自分の大事なあの人のことをよく分かっているし、相手も自分のことをよく分かってくれている。
と思っていたいものですが……。
それは本当ですか? それはあなたがそう思っているだけで、あなたは相手のことを何も分かっていないし、相手にもあなたのことは何も伝わっていないかもしれないですよ。
なんてことを言われたとしたら、少しドキっとしてしまうかもしれません。
でも、この漫画はそういう人と人とのコミュニケーションの「すれ違い(不完全さ)」について描いている作品でもあります。
不安になるかもしれませんが、重い話ばかりでもありません。最後には希望も待っているので、まずは本作で描かれている人と人との「すれ違い」について見ていってみましょう。
2-1.二つの「好き」のすれ違い
本作はメインヒロインの西宮硝子が「聴覚障害」であるという要素が話題にされがちなのですが、より深いところでは人と人とのコミュニケーション全般における「すれ違い」を描いています。
「聴覚障害」という要素は、そのテーマをより浮き彫りにするための象徴でしかないわけですね。「聴覚障害」ゆえに、そのままでは他人とのコミュニケーションが上手くいかない西宮硝子を通して、でも、「聴覚障害」がある人だろうと、ない人だろうと、人と人って中々「伝わらない」よね、というのを描き出している作品です。
象徴的な作中の恋愛における「好き」の告白が「伝わらない」、「すれ違って」しまう場面を二つ見てみましょう。
一つ目は、メインヒロインの西宮硝子の「好き(スキ)」の告白が「月(ツキ)」と勘違いされてしまって「伝わらない」場面です。
(画像は『聲の形』(講談社)電子書籍版第3巻より引用)
二つ目、もう一人のヒロイン植野直花(うえのなおか)の場合、メモでの告白は意中の将也ではなくその友人の永束友宏(ながつかともひろ)に届いてしまったりして、こっちも「伝わらない」のが描かれます。
(画像は『聲の形』(講談社)電子書籍版第3巻より引用)
硝子と直花は、それぞれ「聴覚障害」と普通の人ですが、そんなこと関係なく人間と人間は本当に伝えたいことこそ、中々相手に「伝わらない」ものなのでした。
2-2.西宮硝子の「偽りの笑顔」と「本当の笑顔」
もう一つ象徴的に人と人とが「伝わらない」描写として、西宮硝子が劇中で(本心からではない取り繕った表面上の)「偽りの笑顔」をしている時と、心からの「本当の笑顔」をしている時がそれぞれある、というのがあります。
この二つを将也が取り違えていたがゆえに、物語のクライマックスである「破綻的な出来事」が起こってしまうのですが……。
(偽りの笑顔/画像は『聲の形』(講談社)電子書籍版第5巻より引用)
(本当の笑顔/画像は『聲の形』(講談社)電子書籍版最終巻より引用)
作者の大今良時先生は、この二つの笑顔を明らかに描き分けているのですが、面白いのは、読者の方もそうとう本作をちゃんと読んでないと、硝子の笑顔がどっちのものなのかよく分からない点です。
作中の将也が分かってなかったように、大部分の読者も硝子の笑顔が「偽りの笑顔」だったのに気づいていなかった。終盤の衝撃的な展開を、読者が将也にシンクロして体験できるという仕掛けになっているわけですね。
何故「伝わらない」ことをここまで執拗に描いているのかと言ったら、そのもどかしい部分があるからこそ輝く「伝わる」という尊い一瞬を描くためです。
美術の世界などでは、「白」を際立たせたい時は、背景となる「黒」をこそ丁寧に塗るという発想がありますが、「伝わらない」という長い「黒」色の末に辿り着く「伝わる」という「白」色があります。作中で数度だけ描かれているその「伝わる」という瞬間の発火が、とても美しい作品であります。
(「伝わる」ということ/画像は『聲の形』(講談社)電子書籍版最終巻より引用)
僕もけっこう沢山漫画を読んでいる方なのですが、経験上、幾多の普通の作品の中にごく稀にキラ星のように何かが宿っている作品・場面(シーン)に出会うことがあります。漫画『聲の形』は読んでいて、よくぞここまで! と思う瞬間が何度かあった星明りのような作品です。
2-3.すれ違ったまま、人はこの「世界」で生きている
と、「すれ違い」があるからこそ、「伝わった」瞬間は美しいという話を書いたのですが、最後にもう一度反転して、作品全体としては、そうは言っても「すれ違い」とかあるこの「世界」を、ありのままに「受け入れて」いこう、そうできたなら……という作品でもあるのだという点を見ていってみましょう。
どうしてそういう作品だと言えるのか?
恋愛的な話において、将也と硝子も、将也と直花も、「すれ違い」のまま終劇する作品だからです。
やっぱり「伝わる」ことが大事だ! そのために努力とかしよう! という方向の作品だったら最後に「伝わる」ことを強調する(恋愛の成就など)と思うのですが、この作品はそうではない。「伝わらない」なりに人が生きていくことを「受け入れる」態度を描いて終わっているのです。
象徴的なのは、だいぶ物語の後半の方のシーンになってしまいますが、物語を通して変化した将也が「すれ違って」いる自分への罵倒をありのままに受け止めるというシーンがあります。
(画像は『聲の形』(講談社)電子書籍版最終巻より引用)
ネットの世界における自分に対するアンチの声のようなもので、将也とこの声の主は「分かり合って」いるとは言えません。お互いの気持ちが本当の意味で「伝わっている」とは言えません。
しかし物語を通して変化した将也は、そういう「聲(こえ)」がこの世界に存在すること自体は拒否せずに「受け入れて」います。
そんな「すれ違い」も込みで「世界」はできている。
(画像は『聲の形』(講談社)電子書籍版最終巻より引用)
大今良時先生の描く風景は、輝いています。そんな「すれ違い」もある「世界」の「日常」描写の奥に煌めいている閃光のようなものが、見える人には見えるでありましょう。
3.映画版と漫画版の意味がある違い
『聲の形』には2016年に公開された京都アニメーション制作の映画版もあります。こちらも大ヒットしました。
(画像はAmazonの映画『聲の形』Blu-ray商品ページより引用)
大今良時先生の原作漫画『聲の形』から、京都アニメーション制作の映画『聲の形』で一番変えてきているのは、映画版では漫画版にあった仲間達との映画作りパートと、西宮硝子の「理容師になる」という夢のパートが削られているという点です。
これは、もちろんコミックスで全七巻の作品を二時間ほどの枠である映画という媒体に収めるにあたって、時間の制約で削ったという側面もあるかとは思うのですが、一番は、映画版は漫画版よりもより西宮硝子が(「すれ違い」も存在する)不完全な「世界」で不完全な人間なりに生きていく……という部分に焦点を合わせたがゆえんだと思われます。
仲間との映画作りパートと「理容師になる」という夢のパートがある漫画版は、若干、西宮硝子がくだけた言葉で言うなら「リア充」になるまでの物語なんだ……と読者に誤って解釈されてしまう余地があると思うのですね。
「仲間と映画作りをする過程で西宮硝子は生きやすくなった」あるいは「理容師になるという夢に打ち込んで西宮硝子は生きやすくなった」といったある意味陳腐な物語として受け取られてしまう可能性が少しだけある。前述の通り、コミュニケーションにおいて「伝わらない」なりの世界でも生きていくという物語なので、分かりやすいイベントを通して硝子のコミュニケーション能力も上がってめでたしめでたしと受け取られたりしてしまうと、色々台無しなわけです。映画版はそういう可能性がある部分をカットしているので、西宮硝子は本当にただの「不完全な」「すれ違い」もある人間としてより描かれています。
そういった人間でも、この「世界」に「受け入れ」られ、また「世界」を「受け入れ」て、何とか生きていくという物語に映画版は焦点を絞っています。
これは、漫画版のテーマをさらに伝わりやすくするための変更点と言えるでしょう。
もう一つの大事な映画版で追加されたシーン。終盤の学園祭のシーンで硝子と直花が笑い合うシーンがあるのですが、直花の手話は間違っていて(「バカ」が「ハカ」になっている)、実は硝子との間には「すれ違い」が発生しているのです。最後に硝子と直花も分かり合えた、「伝わった」、めでたしめでたしというオチの映画ではないのです。「伝わらない」まま、笑い合っている、というオチの映画なのです。
映画『聲の形』終盤のこのシーンについては映画感想ブログ「ねざめ堂」さんのこちらの記事に詳しく書いてあるので、本作をより踏み込んで味わってみたい場合は一読して頂けたらと思います。↓
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(「ねざめ堂」2016年10月7日更新分の記事より引用)
参考:映画『聲の形』大ヒット御礼舞台挨拶に入野自由、早見沙織、悠木碧らメインキャスト&山田尚子監督が揃って登壇。公開3週目を迎えた想いを語る/アニメレコーダー(引用元が引用している記事)
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印象的な「スキ」という言葉にまつわる硝子と将也の「告白のすれ違い」(「スキ」が「ツキ」に受け取られてしまう)という「伝わらない」が象徴的な本作ですが、最後まで、その「すれ違い」は解消されません。我々人間は不完全だなぁという切なさと、でも、それでもみんな笑えてるよねという温かさとが同居しているような繊細なシーンが、映画『聲の形』では描かれているのです。
4.まとめ
作家の本田健さんが「(人生に)幸せと豊かさをもたらすのは人間関係」という趣旨のことをよく語っておられたりします (『大好きなことをして人生を自由に生きる!』『ユダヤ人大富豪の教えIII ~人間関係を築く8つのレッスン』他より)。
そういった観点から、本記事で扱った「伝わる」か、それとも「伝わらない」かどうかといったテーマは「人間関係」にまつわる話でもあります。
単純には「伝わる」ことが幸せで、「伝わらない」ことが不幸だと考えてしまいがちなのですが、『聲の形』ではもう少し踏み込んだ部分を描いています。
「伝わる」ことは素晴らしいことかもしれませんが、あまりにもそれにこだわって、精度が高いコミュニケーションを、友人、恋人、親、上司(あるいは部下)、パートナーといった他者に要求し過ぎると、「伝わらない」となった瞬間に「白」が「黒」へ。親しい相手であればあるほど、「伝わって」当然なはずなのに「伝わらない」! と、怒り、焦燥、虚無感、様々な負の感情が怒涛のように湧き起ってきてしまいます。
そういう「黒」く強い感情が自分の外や内に一気に吹き出してしまうと、激しく他人や、あるいは自分自身を傷つけてしまうことがあります。
本作の内容とも無関係でもないので、ここでちょっと日本の自殺者数の統計を張っておいてみますが。
(厚生労働省のホームページ/自殺の統計:最新の状況(速報値):2017年8月時点より引用)
よくニュースにもなっていることですし、今更という感じもあるかもしれません。ピークよりはだいぶ減ったものの、日本の自殺者数は多いと言われています。
日本は先進国だったはずなのに、虚無感はつのり自殺者が年間約2万2千人とか、我々の生きている日常は充足感とか輝きとか幸せとかどこにいったのだろう? とも捉えられて。そんな「世界」に対して、何かしら生きる意味のようなものを取り戻せやしまいか、という試み。漫画をはじめ、近年の日本発のフィクションはそういうのをずっとやっている側面があると思います。
そんな、ともすると張り詰めてしまって生きづらい「世界」なのかなとも思えてしまうのですが。
そんな「張り詰めて」いる感じには、コミュニケーションに対する過度な要求があったりするのかもしれないという話です。「伝わる」ことが当たり前! という世界観だけでは、時に息苦しくなってしまうこともやはりあるでしょう。
『聲の形』が描いているのは、「世界」はそもそもそんなに完璧にはできていなくて、「伝わらない」こともあるだろう。そういう「不完全さ」も込みで「世界」も「人間」も存在している……という、もう少し大らかな、ある意味余裕がある世界観です。糸がピンと張りつめているのではなくて、ある程度ゆるみがある状態、そういうのも良いんじゃないかという態度です。「隙間」を作っていく、「隙間」に気づいてゆく、という生き方です。
あなたが、なんだか上手く行かないなと生き難さに飲みこまれそうになっている時。
「人間関係」に関して目をいからせて、「なんで伝わらないんだ!」とガチガチになってしまっていたりはしないでしょうか?
そういう時は、そのこわばった緊張を少しゆるめることがまずは大事なのかもしれません。
そうは言っても自分一人では中々できないという時は、虚構、たとえば漫画の助けなんかを借りてもいいのです。
もともと、この「世界」は「すれ違い」も込みで出来ているんだ。そう気づくことができたなら、少しだけ心が楽になったり、ささやかな幸せを感じられたりするようになるかもしれません。
漫画『聲の形』は全七巻。一日休日が取れたりすると、最後まで一気に読めるのがイイですね。
ともすれば、死にたくなってしまうような張り詰め気味の社会に生きている我々ではありますが。
フと本棚に目を向ければ、こういったあなたを見守る風景のような作品が存在しているというのは喜ばしいことに思えます。
大ヒットした作品ゆえに、手に入りやすいのは良いところ。
街の書店で、漫画喫茶で、あるいは電子書籍ストアで、「伝わらない」なりの不完全な「世界」でも生きていこうと思えるようになるような、このお守りのような漫画作品を是非、手に取って読んでみてください。
相羽裕司(あいばゆうじ)
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