みなさんこんにちは!ほんのり歴女なマンガフルライターayameです。
毎週水曜更新の名作『あさきゆめみし』キャラ解説も、前回でついに20回を迎えました!(やった!すごいぞ自分!)
今回は通常のキャラ解説はお休みし、20.5回として番外編をお送りします。
取り上げるのは、平安時代の成人の儀について!
当時の成人の儀式と言えば、男子は元服(げんぷく)、女子は裳着(もぎ)。
古典や歴史などの授業で習った人も多いとは思いますが、『あさきゆめみし』ではどのように描かれているのでしょうか。
また、成人の儀がキャラクターたちに与えた影響は?
詳しく解説していきます!
このコラムの初回0回はこちらです↓
こちらは『あさきゆめみし』の完全版。美しい!
また、55周年記念の新装版も発売しています。
目次
1、元服と裳着の基礎知識
男子の成人の儀である元服。(初冠(ういこうぶり)とも)
だいたい11歳から20歳の間に行われ、同時に位階を授かり、サクッと社会の一員にされます。
儀式の具体的な内容としては、それまで角髪(みずら。両耳の上でくるっと丸く結んで残りを垂らした髪型)に結っていた髪を頭上で束ね、元結で結んで髻(もとどり)にします。
そして初めて冠をかぶり、服装も子供用の闕腋袍(けってきのほう)から縫腋袍(ほうえきのほう)に着替えるのです。
(闕腋袍はそで下を縫わず、縫腋袍は両わきが縫ってあります。通常、闕腋袍は四位以下の武官が、縫腋袍は文官や高位の武官が着用します)
このときに大事なのが、冠をかぶせる加冠の役目。
天皇の元服の際には太政大臣がこの役目についたり、摂関家の子弟の場合は逆に天皇が加冠となった例もあるのだとか。
加冠は元服を迎えた新成人(とその家系)との強いつながりを示すものであると言えます。
続いて、女子の裳着。
着裳ともいい、だいたい12歳から15歳で行われます。
ざっくばらんに言ってしまうと初めて裳を付ける儀式です。
裳とは、腰の周りに巻き付けた背後に長いスカートのようなもので、普段着では着用しない格式の高い装束のこと。
当然、子供は着用する機会がありませんので、裳を付けるようになった=大人の女性!というわけです。
もともとは垂れ髪を結い上げて元結でとめる髪上げの儀もありましたが、女性は成人後も垂れ髪で過ごすため徐々にこの儀は形骸化し、鬢(耳際の髪の毛)を肩当たりで切りそろえて下がり端をつくるだけになったのだとか。
そして、裳着において大切な役目が裳の紐を結ぶ腰結。
皇女の裳着であれば天皇がつとめることもあり、新成人に箔をつけたり、腰結と新成人とのつながりを強調するためのものだったとか。
元服も裳着も、その儀式の中で未来を大きく左右する要素が詰め込まれているのは同じですね。
2、『あさきゆめみし』における元服~幼さと初恋との別れ~
『あさきゆめみし』では源氏とその息子・夕霧の元服の様子を見ることができます。
こちらは源氏の元服の儀。皇子らしく、宮中にて帝列席のもと行われています
(文庫版『あさきゆめみし』1巻 大和和紀/講談社 より引用)
ご存知の通り、当時の文化において、女性は簡単に姿を晒しません。相手が異性であればなおさらです。
そのため、元服して大人になった源氏は、初恋の藤壺と直接対面できなくなってしまいます。
元服前はこのように親しく付き合っていましたが……
(文庫版『あさきゆめみし』1巻 大和和紀/講談社 より引用)
元服した途端にこれです
(文庫版『あさきゆめみし』1巻 大和和紀/講談社 より引用)
また、東宮や皇子の元服の夜には、添い寝をする添臥という女性が立てられます。
源氏の場合は葵の上が添臥に選ばれ、そのまま正妻になりました。
くわえて、源氏は源の姓を与えられ臣籍にくだり、皇子の身分も失うことに。
つい昨日まで幼さが残る【少年・子供】だったのに、たった一日で世界は目まぐるしく変わり、【大人・男・夫】の世界へと押し出されたのです。
ちなみに、元結役は葵の上の父親である左大臣。
左大臣に対する桐壺帝の「源氏の保護者たれ」という意図が見えると同時に、源氏および天皇家と左大臣家の強いつながりがうかがえます。
続いて夕霧のケース。
夕霧は元服と同時に結婚こそしなかったものの、初恋相手である幼なじみの従妹・雲居の雁とは離れ離れになってしまいます。
元服までは亡き母・葵の上の家で過ごしていましたが、成人後は源氏の邸で暮らすことに。親戚とはいえ、そうなると簡単に会うことはできません。
(文庫版『あさきゆめみし』3巻 大和和紀/講談社 より引用)
同時に、厳しい出世競争の世界に放り込まれることに……(父親である源氏が手を回したことでハードモード)
源氏も夕霧も、元服を境に唐突に大人になることを求められ、初恋と別れざるを得なくなります。
当時の男子の通過儀礼とはいえ、めでたさよりも切なさが勝る、なんともいえない元服なのでした。
3、『あさきゆめみし』における裳着~【女】としての新たな人生の始まり~
ここでは紫の上と明石の姫君、二人の裳着に注目してみましょう。
紫の上の場合、源氏と結婚(共寝)をして間もなく裳着を迎えました。
腰結役は実父である兵部卿の宮です
(文庫版『あさきゆめみし』2巻 大和和紀/講談社 より引用)
結婚→裳着という順番は当時としては異例のことであり、この結婚が正式なものではないことの証拠であると同時に、紫の上の妻としての立場の不安定さの原因となっています。
腰結に紫の上の父である兵部卿の宮をたてたものの、その後彼と源氏との関係性が深まらなかったのも納得です。
対して、明石の姫君の裳着はとても立派なものでした。
とても華やかです!伝統にのっとって髪上げもしっかりしているのがわかりますね
(文庫版『あさきゆめみし』4巻 大和和紀/講談社 より引用)
源氏の大臣の唯一の姫君として盛大に執り行われ、腰結は源氏が養父となっている秋好中宮がつとめ、「後の世の例(ためし)」となるような箔がつきました。
また、裳着と同時に東宮に入内することも決定しており、成人したと同時に実家を出て宮中で暮らすことになります。
紫の上と明石の姫君のふたりは、裳着と結婚が強く結びついているケースです。
それはつまり、それまで【少女】として伸び伸び暮らしていたのが、裳着を切っ掛けに【女】としてそれまでとは異なる新たな人生をスタートさせたということ。
とくに紫の上は、源氏の妻になったことで他の女性に対する嫉妬の感情と、それを抑える必要性を知ることになりました。
明石の姫君はというと、東宮に入内した以上、一刻も早く懐妊が望まれる立場です。
あまりにも急いで大人になることを要求されている点においては、男性の元服とあまり変わりませんね。
駆け抜けるように終わってしまう少女時代に、なんとなく切なさを覚えてしまいます。
ちなみに、『あさきゆめみし』では上記ふたりのほかに、もうひとり裳着のシーンが描かれています。
それが亡き夕顔の忘れ形見である玉鬘(たまかずら)。
裳着の儀式が父娘の感動の再会の場となりました
(文庫版『あさきゆめみし』4巻 大和和紀/講談社 より引用)
彼女は幼いころから地方で暮らしていたため、源氏のもとで裳着を迎えたときには20歳になっていました。
この年齢での裳着は異例中の異例。
ですが、腰結は実父である内大臣(頭の中将)がつとめ、その血筋を証明するとともに彼女の入内を内外にアピールする良い機会となったのです。
4、子供と大人との明確な線引きは寿命の短さゆえ?
平安時代、女子も男子も成人すると同時にあまりにも性急に大人になることを求められます。
儀式を境にスパッと子供時代と別れを告げ、大人の世界に仲間入り。
正直、現代の感覚だとついていけないですよね…。
でも、この明確な線引きは、ひょっとしたら当時の平均寿命の短さが関係しているのかもしれません。
子供がある程度成長したら大人として扱い、社会活動に参加させ、同時にどんどん子供を作らせる。
小さな赤ん坊から大人まで、さまざまな要因で簡単に命を落としてしまう当時の暮らしでは、そうでなければとても【都】を維持できなかったのでしょう。(もちろん、地方でも成人の儀は行われていましたが)
ところで、現代日本でも成人の年齢が18歳に引き下げられましたね。
いろいろな理由がありますが、次代の担い手の確保を迫られているのは現代も平安も同じ。
人間が生物として生きている以上、社会が抱える問題は時代を経てもそう大きくは変わらないのかもしれませんね。
(ayame)
『あさきゆめみし』を読むなら……(今なら無料もあり)
『あさきゆめみし』を全巻読むならこちらから!期間限定無料あり!
電子書籍の購入はこちらからも可能です!
コメントを残す